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2025.10.04 / よもやま話

父と娘の東北旅行2 秋田後編

9月が忙し過ぎて、第2弾のお届けが大幅に遅くなりました。
秋田県2日目の朝は、大曲を出て横手盆地の北奥にある「角館(かくのだて)」に向かいました。秋田前編の初めにも書いた通り、角館は1976(昭和51)年に始まった重要伝統的建造物群保存地区(以下、重伝建地区)制度の第一号(7地区あるうちの1つ)で、私には今旅一番の目的地です。

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城下町としての角館の歴史は中世末期に遡り、天正18(1590)年に転封された戸沢氏が古城山に館を置き、北川山麓に町を築いたのが始まりとされます。その後、慶長7(1602)年に出羽の戸沢氏と常陸の佐竹氏の国替えを行い、佐竹氏の家臣である芦名氏が角館に入ります。城下が狭いうえに河川の氾濫や火事に悩まされていたため、元和6(1620)年に古城山の南側に新たな町を整備したのが現在の角館の起源です。
城下町のほぼ中央に設けられた「火除け」と呼ばれる土塁を境に、北側は内町(うちまち)と呼ばれる武家町、南側は町人や商人が暮らす外町(とまち)に分かれます。現在土塁は残っていませんが、「火除け」は文字通り火災の延焼を食い止める役割と、町の防御線としての機能も兼ね備えていました。

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重伝建地区は武家町の中心部分で、中央の道路を軸とする東西100m、南北700mの範囲です。メインストリートは幅11mあって大型車がすれ違えるほどの広さ。古い町並みの通りにしては異色の道幅で、角館の大きな特徴と言えます。
武家町らしく、道の両側には黒塗りの板塀が連続しています。ただ、町屋に比べて武家屋敷を維持することは難しく、弘前市仲町(青森)、萩市堀内(山口)、安芸市土居郭中(高知)等、武家町はたいてい門、塀、生垣しか残っていないことが多いです。角館には公開されている武家屋敷が6ヶ所もあり、特に石黒家と青柳家は大きな屋敷構えに立派な薬井門などもあって見応え十分です。

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石黒家は佐竹北家の用人を務めた家柄で、12代目当主・石黒直次氏は2005年に角館町長に就任(最後の角館町長)し、同年の選挙(平成の市町村大合併)では仙北市の初代市長となっています。
公開されている武家屋敷のうち、石黒家だけは今も直系の子孫が住み続けています。そのため屋敷の一部は非公開ですが、座敷や茶の間などの表側部分と蔵や庭などが見られ、スタッフが解説してくれました。

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重伝建地区は映画やドラマの舞台によく使われますが、角館は藤沢周平原作の映画「たそがれ清兵衛」のロケ地として知られています。クライマックスシーンでは松本家で撮影が行われました。他に、片平なぎさ主演の「小京都ミステリー16 みちのく角館殺人事件」などがあります。

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角館と田沢湖の中間に「抱返り渓谷(だきがえりけいこく)」と呼ばれる全長約10kmの渓谷があります。

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狭く険しい山道のため、昔は人がすれ違う時に抱きかかえる様に行き違わなければならなかったことに由来した呼称です。紅葉シーズン(10/10~11/10)は多くの観光客が訪れるそうですが、深緑シーズン(6月中旬~8月下旬)もお勧めのようなので、行ってきました。渓谷の入口にある抱返神社の前に「回顧の滝まで往復1時間」と書いてあって少し怯みましたが、我々の健脚をもってすれば往復40分ぐらいで戻れるだろうと、まずは「神の岩橋」という全長80mの吊り橋を渡りました。

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遊歩道が整備されていて、全体的には平らに近く苦も無く歩けましたが、所々湧水が流れていて足元が悪くなっていました。対向者とすれ違う幅もあったので「抱返り」する必要もありません(笑)
それというのも、この遊歩道は「秋田杉」を搬出するために作られた生保内森林軌道の廃線跡だそうです。ゴール地点の手前には、急峻に架けられた吊り橋や、岩山をくり抜いた真っ暗なトンネルがあって、ドキドキさせてくれました(吊り橋は少し怖かった)。
そして遂に「回顧(みかえり)の滝」が現われます。

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高さ30mほどの立派な滝で水量も多く、マイナスイオンが充満しているように感じます。遊歩道も木陰で暑くはなかったのですが、ここで暫く涼んでから引き返しました。

次に訪れたのは田沢湖です。城巡りが好きな人がいるように、湖巡りが好きな人もいるのではないでしょうか。そういう人からすれば田沢湖は外すことのできない湖です。

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なぜなら田沢湖の水深は423.4m(平均水深280m)もあって日本一深い湖だからです。身近な湖と比較すると、相模湖の水深は32m、山中湖は13.3mしかありません。また湖面の標高が249mなので、山上にあるのに湖底の最深部が海面より174mも低いということも驚きです。水深が深いため、豪雪地にあっても真冬に湖面が凍結することはないそうです。

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田沢湖のアイコンになっているのが湖畔にある金色の「辰子(たつこ)像」です。一応「辰子伝説」について紹介すると、「辰子姫」は田沢湖のほとりに暮らしていた類まれな美しい娘でした。いつか衰えていくであろうその若さと美しさを何とか保ちたいと願うようになって、観音様に百夜の願掛けをします。お告げの通りに泉の水を飲むと激しい喉の渇きを覚え、狂奔する辰子の姿はいつの間にか龍へと変化し、田沢湖に身を沈めて主として暮らすようになったという話です。
ここも、北大路欣也主演のドラマ「さすらい所長風間昭平2 こまち田沢湖殺人事件」の舞台になりました(笑)

その次に訪れたのは、「かまくら」で有名な日本屈指の豪雪地帯、横手市です。ここに重伝建地区に選定されている「増田」という町並みがあります。田沢湖から増田までは78kmあり、事前調べでは一般道で約80分でしたが、信号の無い山裾の県道(みずほの里ロード)を飛ばしていたら、時間短縮できました。

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増田は成瀬川と皆瀬川が合流し、旧街道が合流する立地であることから、物資の流通拠点として賑わい、明治期以降は生糸、タバコ、酒の生産流通と、水力発電や鉱山などの産業で発展した在郷町(農村部などで商品生産の発展に伴って発生した町)です。増田の繁栄は大正期に最高潮に達しました。

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メインストリートの中七日通りに複数の町屋が並びます。多くの町屋は切妻造りの妻入りで、正面には奥行き1間程度の下屋が付いています。敷地は間口が狭く奥に長い短冊状で、通りに面して店舗兼住宅の母屋があり、その背後に内蔵(うちぐら)があるのが増田の町屋の特徴です。土蔵は別棟として庭に建てるのが普通ですが、積雪量の多い増田では冬期に行き来ができなくなるため、母屋の屋根を延長して土蔵を屋内化しました。内蔵のある増田は、豪雪地ならではの「蔵が見えない蔵の町」なのです。

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内蔵は収納としての「文庫蔵」が主流でしたが、時代が進むと居住空間も兼ね備えた「座敷蔵」が現われました。観光案内所「蔵の駅」(旧平石金物店)で、実際に内蔵を見学することができます。通り土間の奥に広い土間(台所)があり、その奥に単体の内蔵があって全体が屋根で覆われています。一般的な蔵の造りと同じで天井の低い1階と屋根裏の2階があり、1階が座敷になっていました。

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また、増田は漫画「釣りキチ三平」の作者・矢口孝雄氏の出身地ということで、「マンガ原画」をテーマにした全国初の美術館「横手市増田まんが美術館」があります。国内の著名な漫画家の原画約40万点が収蔵されていて、入れ替わりで公開展示されるので、興味のある方はぜひ足をお運びください。

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今日は昼食を車内で慌ただしく済ませたため、増田を訪ねた後に横手市のカフェLe grenier(ル・グルニエ)に立ち寄りました。もちろん娘のご機嫌を取るためです(笑)

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私はオリジナルティー(紅茶、りんごチップ、エディブルフラワー矢車菊、金平糖が入ったほんのり甘い紅茶)を頼み、娘はキャラメルラテ、そしてクロネコのクレープを頼みました。
「クロネコのクレープ」ってインスタ映えしか考えてないでしょ・・・と苦笑い。

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横手市から奥羽山脈を越えて岩手県に入ると日が暮れてきました。北上市の農道に車を停めて振り返ると、奥羽山脈に沈む夕焼けがとても美しかったです。(つづく)

岸 未希亜

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