突然ですが、日本サッカー界が生んだ最高傑作は誰でしょうか?
プロ化以降の顔触れを思い浮かべれば、中田英寿、小野伸二、高原直泰、香川真司、久保健英といった名前が挙がると思いますが、アマチュア時代の日本代表フォワード「釜本邦茂」を超える選手は未だに現れていません。その釜本邦茂さんが8月10日に81歳の生涯を閉じました。

朝日新聞8月11日朝刊より
1944年4月15日生まれの釜本は、山城高校(京都)2年生時にユース代表に選ばれ、早稲田大学入学後の19歳で日本代表入りします。20歳で1964年の東京五輪に出場し、大学リーグで4年連続得点王を果たした後は日本サッカーリーグ(JSL)のヤンマーディーゼル(現J1セレッソ大阪)に入団。そして翌年(1968年)に開催されたメキシコ五輪にエースストライカーとして出場すると、6試合7得点で大会得点王に輝くとともに、日本代表を銅メダルに導きました。
7大会連続ワールドカップ出場を成し遂げている現在においても、ワールドカップ、オリンピックを通じて1968年の銅メダル(3位)が史上最高成績となっています。

NumberPLUS サッカー百年の記憶より
釜本の全盛期は1960年代から1970年代。今から50~60年前のことなので、多くの人にはピンと来ないと思いますが、2歳から父にサッカーを仕込まれ、三ツ沢球技場で行われる日本サッカーリーグの試合に何度も連れて行かれた私は、現役時代(晩年)の釜本を見ています。
小さな三ツ沢球技場でも閑古鳥が鳴くような閑散としたスタンド。日本にプロリーグが誕生することなど想像もできないアマチュアの時代に、釜本はプロフェッショナルを体現する不世出のストライカーでした。

「ストライカーの技術と戦術」表紙
わが家には、現役終盤の釜本が1977(昭和52)年に書いた「サッカー ストライカーの技術と戦術」(講談社)という技術書がありました。連続写真を織り交ぜながら、キック、トラッピング、ヘディング、シュート、ドリブル等の技術解説がされています。

「ストライカーの技術と戦術」より
これを父が買った当時は私もセンターフォワードをしていたので、子供ながらに目を通していたと思います。48年前の古本ですが、今となっては非常に貴重な本かもしれません。
釜本の引退試合は1984年8月25日、国立競技場で彼が40歳の年に行われました。当時中学1年生だった私は、サッカー部顧問の田部先生に誘われて、何人かでその引退試合を観戦しています。今まで人に話したことは少ないのですが、これは私の自慢の一つです(笑)
サッカーの王様ペレ、元西ドイツ代表のオヴェラートが参戦して行われた引退試合後、釜本はその2人に肩車されて場内を回りました。4月に体育教師になったばかりの22歳の田部先生が、「かまもと~」と叫んでいたのが昨日のことのように思い出されます。

NumberPLUS サッカー百年の記憶より
現代サッカーは時間と空間が無くなり、「昔は名選手だったとしても現代サッカーでは通用しない」と言われますが、釜本の全盛期を知る人は、強くて早くてクレバーだった彼は、間違いなく今でも通用すると断言します。1998年から7大会連続出場しているワールドカップを振り返る時、そこに釜本がいたらベスト8の壁どころかもっと先へ行けていたことでしょう。
釜本邦茂さんのご冥福を祈りつつ、来年行われるワールドカップ2026の日本代表に期待しましょう。
岸 未希亜

