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2024.09.03 / 建築と住まいの話

父と娘の四国旅行1 伊予前編

次女は高校1年生になりましたが、今年も2人旅は継続されることになったのでご安心ください(笑)
6回目の今回は、昨年行くのを断念した四国です。昨年「父は愛媛に行きたい、娘は香川に行きたい」と言ってまとまらなかったと書きましたが、愛媛県と香川県を2日ずつ分け合う形で行って来ました。

愛媛県は旧国名「伊予」にちなんで「東予」「中予」「南予」という3つの地域に分かれています。県庁所在地の松山市を中心とした「中予」、今治市や新居浜市など、瀬戸内海に面したエリアが「東予」、大洲市や宇和島市など、豊後水道に面した南西部が「南予」です。今回の旅先は主に「南予」エリアで、後半に松山市内を訪れました。

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四国も往路は夜行バスを使いました。横浜のYCATから乗るバスは「香川・徳島・愛媛・高知」行きになっていて、午前6時前に徳島県内のターミナルで「松山方面行き」に乗り換えます。名古屋とか金沢とか全国各地から四国へ来る人を効率よく捌く形なのだと思います。中継場所から約3時間で松山駅前に到着し、予約していたレンタカーを借りました。
最初の目的地は重要伝統的建造物群保存地区(以下、重伝建地区)の「卯之町(うのまち)」です。

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「卯之町」は、宇和盆地の米や周辺山地から産出する木材(宇和桧)の集散地として、また宇和島と大洲・松山を繋ぐ宇和島街道の宿駅として江戸時代を通じて賑わった在郷町(ざいごうまち)です。在郷町というのは商品生産の発展に伴って発生した農村部の町で、城や宿場などの中心となる施設がある「城下町」や「宿場町」とは区別されます。また、四国霊場第43番札所の源光山明石寺の門前でもあるため、門前町の性格も併せ持っていました。卯之町の町家は妻入りと平入りが混在しているのが特徴で、妻入りは元が茅葺き屋根だった古い時代のものと考えられます。

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この地には、長崎でシーボルトに西洋医学を学んだ二宮敬作が蟄居していたため、片田舎にあって最新の医術や学問に触れられる場所でした。脱獄逃亡で幕府から追われていた高野長英(二宮とシーボルト門下)をかくまった隠れ家があり、シーボルトの娘イネも敬作の元で養われ、日本で最初の女医(産科医)になったのもこの町なのです。

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町家と町家の間に石畳の坂道がある一画があり、この坂を上った所に重要文化財に指定されている開明学校の校舎があります。

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和瓦葺きで漆喰塗りの外壁ですが、窓がアーチ状になっている木造西洋館で、明治期の小学校です。その左手には大正期に増築された2階建ての建物があり、右手には初期の開明学校で江戸時代に寺子屋だった「申義堂」と呼ばれる和風の建物があります。

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開明学校には明治期を中心とした教育資料が展示してあり、当時の教室が再現されていて、「明治の授業体験」ができるイベントも行われています。

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学校の向かい側に宇和民具館という施設がありました。ここは展示物を守るために基本構造は鉄筋コンクリート造ですが、屋根は木造で町並みに溶け込む外観になっています。階段を下りていくと町家を再現した木造棟が現われ、「M氏の秘密基地」という特別展示が行われていました。

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宇和町在住のM氏が集めた昭和レトロなグッズが展示されているのですが、トースターの数と種類の多さには驚きました。そして再現建物だと思った部分が、表通りに建つ実際の町家であることが分かって2度びっくり。上手に設計された建物だと感心しました。

次に訪れたのは宇和島です。私は2015年6月のブログでこんなことを書きました。「以前から何度かブログでお伝えしているように、私は日本の城が好きで、天守が現存している12城のうち、これまでに10ヶ所を見て来ました。残りは愛媛の宇和島城と、ここ高知城なのです」と。この2015年に未踏の高知県に足を踏み入れて、47都道府県コンプリートを果たしたのですが、宇和島城を見るのにあれから9年も要するとは思いませんでした。

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「現存天守」というのは、その多くが江戸時代に造られた木造の天守で、姫路城、松本城、犬山城、彦根城、松江城(以上の5つは国宝)と、弘前城(青森県)、丸岡城(福井県)、備中松山城(岡山県)、丸亀城(香川県)、高知城、松山城、宇和島城(以上の7つは重要文化財)の12城です。

宇和島城は市内のほぼ中央にある標高80mの小山の上に築かれた平山城(ひらやまじろ)です。北側と南側に2ヶ所の登城口があり、私たちは北側登城口から天守を目指しました。

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このルートは短い距離で本丸に到達するため、急傾斜の石段が続く山道になっています。途中に深さ11mの井戸を備えた「井戸丸」という廓があるだけで、比較的すぐに細長い形状の「二の丸」に出ました。そして二の丸から石段を上った所が本丸で、目の前に3重3層総塗籠式の層塔式天守が建っていました。

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宇和島城は、1595年に築城の名手である藤堂高虎が宇和郡7万石に封ぜられ、板島丸串城(宇和島城の前身)の築城(修築)を進めて1601年に完成をみます。1608年に高虎が伊勢に転封され、1615年に仙台伊達家から政宗の庶長子(側室の子で長男)である伊達秀宗が宇和郡10万石に封ぜられると、伊達家9代が宇和島藩を守り明治維新を迎えました。第8代の伊達宗城(むねなり)は、越前の松平春嶽、土佐の山内容堂、薩摩の島津斉彬とともに幕末の四賢候と言われた人物です。

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堀や石垣などの縄張りは高虎の築城を引き継ぎますが、天守は豊臣時代に多い下見板張りの望楼式天守だったものを、2代藩主宗利(秀宗の三男)の時代に白亜の天守に造り替え、現在の形になりました。
1985年に姫路城を見てから39年の歳月がかかりましたが、漸く現存12天守コンプリートです(笑)

次に訪れたのは、重伝建地区の「津島町岩松」です。

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宇和島市津島町岩松は宇和島城から南に約16㎞の、岩松川が北灘湾に注ぐ河口付近にある町で、2023年12月に選定されたばかりの129番目の重伝建地区です。14世紀中頃には農村として存在したと考えられる岩松は、1614年以降は宇和島藩領となり、1684年に豪商の小西家が移住したことを契機に町が発展しました。江戸時代後期から近代にかけては、製蝋業(ハゼの実から蝋燭をつくる)や新田・塩田開発、酒造業等で繁栄し、周辺集落の物資の集積地として栄えた在郷町です。

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天が森という山と岩松川の間の狭い地域に町並みが残っていて、北側から町に入るとすぐに道は二手に分かれます。左側がメインルートで、すぐ左に四国霊場第15番札所である金龍山臨江寺(臨済宗妙心寺派の禅寺)があります。

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階段を上りながら潜る山門の2階に、花頭窓と四角い窓にバツ印の桟が入ったガラス窓が並んでいて個性的です。通り沿いには昭和の家も多くあって町並みとしては散漫な印象を受けますが、所々に絵になる風景もありました。

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初めに戻って右側に行くと川沿いの道ですが、こちらも歴史的な家は少なく、護岸が現代的なのと対岸にバイパス(国道56号)が見え、景色としてはあまり絵になりません。
2つの道は再び1つに収束して南へ延び、港町と呼ばれるエリアになります。

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ここから振り返ると、岩松川と天が森に挟まれた、幅が細くて縦に長い地割りがよく分かります。重伝建地区としての完成度はまだまだですが、これから国の助成を受けて建物外観の整備が進めば、印象は違ったものになると思います。

最後に訪れたのが、愛媛県南端にある愛南町の「外泊(そとどまり)」です。ここは岩松から約45㎞もあるため行くかどうか迷っていたのですが、思い切って行くことにして大正解でした。高知県と接している愛南町の中ほど、複雑な海岸線になっている半島の先に「石垣文化の里」はあります。

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四国の南側は昔から台風の通り道で、強い風雨に曝されてきました。その台風や冬の季節風から家を守るために、山の斜面に積み上げた石垣の上に家を建て、家が斜面と一体になっているような風景です。

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海から山に向かっての坂道と、地区の東から西へ上がる坂とが碁盤の目のように交差し、迷路を歩くような感覚を味わえます。自分の背よりも高い石垣が切れると、山側へ上る坂があり、反対は眼下に海が広がります。愛媛県の西岸にあるので、実際に来るまでは西に海があると思っていました。しかし外泊は北に海がある立地なので、数少ない台風よりも冬の季節風が厳しい地域だということを知りました。

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上の方は家が無くて石垣の造成地のようになっていましたが、逆に廃墟というか要塞というか、少し怪しげな雰囲気を醸し出していてワクワクしました。

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映画やドラマの撮影で使えそうな・・・と思っていたら、現在TBSで放送中の「笑うマトリョーシカ」というドラマ(第9話)に登場して驚きました。櫻井翔演じる若き政治家・清家一郎の故郷が愛媛県愛南町という設定で、母親役の高岡早紀と事件を追うジャーナリスト役の氷川あさみが、この外泊(石垣文化の里)で話をするシーンです。ご覧になった方はいますか?

日も暮れかけた夕方に外泊を出て、90㎞離れた大洲までは高速道路も使って1時間半。ホテルに着いた後で娘に「今日はどこが良かった?」と聞いたら「石垣のところ」と言ったのが意外でした。(つづく)

岸 未希亜

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