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2024.09.22 / 建築と住まいの話

父と娘の四国旅行3 伊予後編

大洲市を出て次に訪れたのは、大洲市に隣接する内子町です。内子町の八日市・護国地区は重要伝統的建造物群保存地区(以下、重伝建地区)に選定されています。

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内子町は桂二さん(建築家・吉田桂二)が町並み保存や町づくりに関わったため、私にとっては身近に感じている町ですし、今回で4度目の訪問になります。しかし娘は初めてなので、まずは北から重伝建地区を歩きました。重要文化財民家の上芳我家、本芳我家、大村家の立派さは別格なのですが、それ以外の家も本当に丁寧に改修されていて、素晴らしい町並みになっています。

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比較しては申し訳ないのですが、前編に書いた「卯之町」や「岩松」とは異なり、江戸時代に迷い込んだような光景が広がります。1982年の重伝建地区選定から42年の歳月は伊達ではありません。

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左手前の家は「御宿・月乃家」という旅館で、桂二さんが改修設計を行いました。古民家を改修した風情ある客室が4室(最大定員12名)あり、非常に良心的な料金なので、内子町に行く際はぜひ泊まってみてください。

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訪れた8月初旬(旧暦の七夕)は「内子笹祭り」の最中でした。重伝建地区と内子駅の間にある本町通りは車を通行止めにして、約500mの間に40本もの七夕飾りが並んでいました。夜には約30チームの踊り連が笹飾りの下を練り歩く「笹踊りコンクール」が行われるそうです。

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ビジターセンターの前庭には、空中にビニール傘を浮かせたインスタ映えスポットが用意されていたので、釣られてパチリ。このすぐ近くには大正5年に造られた「内子座」という木造の芝居小屋があります。

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今回は寄りませんでしたが、著名な歌舞伎役者が来たり地元の劇団が演劇をしたりと現役バリバリで、内子町の代表的な観光スポットです。

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お腹が空いたので、重伝建地区内にある古民家を改装した店に入りました。「シャルム」という店内飲食も可能な天然酵母のパン屋です。本物の町家で食事できる体験も素晴らしいですし、パンも美味しかったです。

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それでは、内子町で桂二さんが設計した建物を紹介します。

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・1994年竣工の「石畳の宿」。町から離れた石畳地区で廃墟となっていた農家を解体移築した宿泊施設です。食事は地元農家のお母さん方が作ってくれますが、古民家を貸別荘にしたような施設です。

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・1995年竣工の「木蝋館」。上芳我家に隣接した公園跡地に建てられた建物で、RC造の収蔵庫と木造の展示棟で構成されています。上芳賀家を見学した人がそのまま見られるようになっています。

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・1999年竣工の「大瀬の館」。成留屋地区にある旧大瀬村役場を宿泊施設に改修した建物です。

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・2003年竣工の「内子町文化創造センター」。

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これは展示室・実習室・会議室等が入る内子自治センターと、図書館機能をもつ内子町図書情報館からなる延床面積1,250㎡の巨大な施設です。

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・2005年竣工の「御宿・月乃家」。桂二さんが内子の景色を描いた襖絵が見られます。

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・2008年竣工の「内子中学校」。学校建築が木造に回帰する時代要請の中で実現した木造校舎。RC造を木造に置き換えただけの箱型建築ではなく、木造平屋が複雑に連続するレイアウトは圧巻です。

内子町を出て松山に向かうと、松山市中心部から少し南に伊丹十三記念館があります。

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伊丹十三は俳優やエッセイストの顔をもつ映画監督で、高校時代を松山で過ごしました。妻の宮本信子を主演にした『お葬式』『タンポポ』『マルサの女』等の映画が有名ですね。
建築好きな人には、この記念館が中村好文(住宅作家・家具デザイナー)の設計ということで認知されていて、私もその理由で立ち寄りました。

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外から見ると黒くて四角い無機質な箱に見えますが、内側は中庭を囲むコートハウスになっています。中庭周りの空間が綺麗ですし、中庭に臨むカフェには中村氏デザインの照明PERAが下がっていました。

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次に訪れた松山城は、宇和島城の所で書いた通り12ある現存天守の1つで、私は今回が2度目の登城です。次女のコレクションもこれで5つ(姫路城、松本城、彦根城、松山城、宇和島城)になりました。

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松山城は日本三大平山城(他は姫路城、津山城)の一つと言われますが、標高132mの山頂にあるので山城のイメージに近いです。

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往時の気分を味わうなら、二之丸(史跡庭園)から黒門口登城道という険しい道を上るのがルートですが、観光客の多くは東側麓にある乗り場からロープウェイで山頂へ向かいます。私たちもそのルートを取り、ロープウェイの発車時刻まで待たずに隣にあるリフトで上がりました。

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築城以前は2峰に分かれていた山を削り、間の谷を埋めて本丸を築いたそうで、横に長く広い本丸です。石垣の下は崖になっていて容易に近付けない構造なので、戦闘場面を想像しやすい城だと思います。

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当初の天守は五層でしたが1642年に三層に改築され、江戸後期に落雷で焼失したため、幕末の1852年に再建されたのが今日の大天守です。昭和の初めに放火で焼失した小天守や南北隅櫓は木造で復元されたものですが、現存建造物と並んでも違和感のない造りで、連立式天守の見本といえる姿を見せてくれます。

「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている」
この一節は、司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』の書き出しです。司馬ファンはご存知でしょうが、『坂の上の雲』は松山で生まれ育った正岡子規、秋山好古、秋山真之という実在の人物を通して、明治日本が近代国家となりゆく過程を描いた長編小説です。

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そういう訳で「坂の上の雲ミュージアム」に行って来ました。この建物は建築家・安藤忠雄の設計ということで、内部には「展示物の撮影NG」「建物撮影OK」という標識が幾つもありましたから、建物目当ての来館者も多いことが分かります。私は6:4で「坂の上の雲」目当てでした(笑)

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建物は三角形平面でぐるぐる回遊する形になっています。中央の吹抜に2階から4階へスキップする「空中階段」なるものがあり、思わず釣られて上ってしまいましたが、本来は下りに使うそうです。そのため3階の展示スペースを飛ばしてしまいました(笑)
3階から4階へのスロープ壁面に、産経新聞に連載された「坂の上の雲」1296回の切り抜きが並べられていて圧巻でした。

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週刊朝日MOOK「週刊司馬遼太郎」より

ちょうど先々週から、NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」が再放送されています。正岡子規を香川照之が、秋山好古を阿部寛が、秋山真之を本木雅弘が演じている大作(2009年から3年かけて90分×13回)で、再放送は44分×26回になっています。15年前の放送を見逃した方はご覧になってください。きっと「松山」に行ってみたくなると思います。

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この日の娘のお気に入りは、「おはなはん通り」で水路に足を入れて涼んだことだったそうです。(つづく)

岸 未希亜

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