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2022.08.12 / 建築と住まいの話

父と娘の古都巡り1

新型コロナウイルスの感染者数は増えていますが、3年ぶりに祇園祭りやねぶた祭りが開催されるなど、今年の夏は観光客も戻りつつありますね。
3年前の夏、長女の高校受験で家族旅行を断念した際、当時小学生の次女と2人で北陸を旅しました。翌年からは新型コロナウイルス騒動で旅行に行くことが難しくなり、今年は3年ぶりの「夏休み」を迎えます。しかし長女が大学受験なので、今年も再び次女との2人旅へ。行き先は奈良~大阪~京都です。

京都に行く機会は何かと多いのですが、地理的な条件から奈良に行く機会がなかなか無いため、私が「奈良に行こうよ」と誘いました。娘は大阪と京都にも行きたいと言うので、ちょっと思惑は外れましたが(笑)
3年前に倣って往路は夜行バスを利用。コストを抑えられることはもちろんですが、初日も朝からフルに観光できる魅力には抗えません。

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横浜シティ・エア・ターミナルを夜11時50分に出発し、翌朝6時40分に近鉄奈良駅に到着。今回のルートは三重県からの峠越えだったため、結構揺れて父子ともに熟睡できず、さらに少し車酔いしました。しかしレンタカーを借りるのが8時からだったので、待ち時間に酔いを醒まして出発。先ずは奈良市内から45㎞離れた五條市へ。

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奈良県は北西部の奈良盆地に人口が集中し、北東部と南半分は紀伊山地ほか大小の山地で構成されています。特に南部は電車も高速道路も通っていない文字通りの山の中です。五條市の大部分は紀伊山地に入っていますが、市の中心部は奈良盆地の南西に位置し、JR和歌山線の沿線(五條駅)にあって大阪府と和歌山県に接しています。奈良市の中心部とは盆地の対角線の位置にあり、車で1時間半ほどかかりました。その五條市に五條新町(ごじょうしんまち)という重要伝統的建造物群保存地区(以下、重伝建地区)があります。

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この一帯は、昔から大和(奈良県)と紀伊(和歌山県)、伊勢(三重県)を結ぶ交通の要衝で、紀伊から紀ノ川(奈良県に入ると吉野川)に沿ってくる紀州街道(大和街道)は、五條で二手に分かれます。そのまま東へ進むと伊勢に通じる伊勢街道、北に進んで御所から奈良中心部に至る下街道です。

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重要文化財民家 栗山家

町並みは、中世に起源をもつ御霊神社御旅所を中心に広がった「五條」の町と、五條村と二見城をつなぐ直線的な道の両側に展開する「新町」で構成されます。五條エリアに、慶長12(1607)年の棟札が残る重要文化財民家の栗山家があります。何と400年前の住宅です。

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古い家は本瓦葺きもありますが、屋根は切妻造り桟瓦葺きが多く、1階正面は太格子、細格子、親子格子などが使い分けられ、2階は格子窓を漆喰で塗り込めた虫籠窓(むしこまど)が見られます。外壁を大壁にして軒裏まで漆喰を塗り上げた塗屋造り(ぬりやづくり)は、火事の延焼を防ぐ防火構造として町屋建築で多く見られるものですが、黒漆喰の壁が多いのは五條新町の特徴です。

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歩いていくと重伝建地区らしからぬ家(選定以前に新築された家)も散見されますが、道幅が狭いため(車は一方通行)、古い町並みを濃密に感じることができました。駒寄せ(人馬の侵入を防ぐ柵)のある家、町並みに調和した看板のある家、格子にお面が掛かっている家、町屋を改修したレストランやカフェ、オフィスなどもあります。

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朝ご飯を食べていなかったので、その一つである「cafeことほぎ」に入りました。娘はふわふわのかき氷、私はシフォンケーキを注文。苺は五條市で収穫された「古都華」や「あすかルビー」を凍らせていて、シャリシャリとした食感でとても美味しかったです。

五條市の北にある御所市に「葛城の道歴史文化館」があります。

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日本ナショナルトラストのヘリテイジセンター第1号として1986年に建設された建物で、私の師である故・吉田桂二氏が設計しました。建物は築36年になるのですが、周囲の環境に調和する白壁といぶし瓦の建築なので、古びた感じがしません。

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地元住民のボランティアによって管理運営されているそうで、1階の休憩所は蕎麦屋が入って営業していました。

次に訪れたのは、現存する世界最古の木造建築である法隆寺。この旅で娘に一番見せたかった建物です。私自身は3度目ですが、前回の訪問から四半世紀経っているので、記憶はもう薄れています(笑)

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南の参道から来て南大門を潜ると、左右に土塀が連なり、前方には西院伽藍の中門と五重塔が見えます。この景色がとても美しいですね。伽藍の中に入れば建物の全体像が見える訳ですが、この「全てが見えない」状況の方が想像力を喚起されて、かえって美しいと感じるのは私だけではないと思います。

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中門、金堂、五重塔とそれを囲む回廊は「飛鳥様式」と呼ばれる古代の伽藍配置です。五重塔に目が行きがちですが、金堂は本尊の釈迦三尊像(国宝)をまつる世界最古の木造建築で、国宝です。裳階(もこし)と呼ばれる庇を設けた二層の入母屋造りで、軒が異常なまでに深いのが特徴です。軒を支える「出組」を3段階にせり出した「三手先」と呼ばれる構造になっていますが、それでも軒が下がってしまうため、後世になって四隅に龍を彫刻した支柱を立てて支えています。

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一層目の下に裳階(もこし)があって、屋根が六重に見える五重塔も国宝です。上層にいくほど建物と屋根が小さくなっていますが、この強い逓減率(徐々に小さくなる)を実現するため、五層目は構造的合理性を犠牲にして二間柱間になっています。意匠的効果を優先した形態が先行し、それに構造が付随するという点は古代建築の特質とされています。

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西院伽藍の北東に大宝蔵院百済観音堂という施設があります。過去2回は建築しか見なかったので、今回初めて足を踏み入れましたが、国宝や重要文化財に指定された法隆寺の名だたる寺宝を安置してあります。中でも教科書に必ず出てくる「玉虫厨子」が見られたのは、感動でした。

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さらに東側に、「夢殿」を中心にした東院伽藍があります。夢殿は、太子一族が643年に蘇我入鹿に攻められ、焼けたままになっていた聖徳太子邸(斑鳩宮)跡に、太子の遺徳を偲んで建てられた八角円堂です。中学校の修学旅行では見た記憶がないのですが、八角円堂のユニークな形を気に入って、美術の授業で絵に描いた記憶があります。

続いて訪れたのは、西ノ京にある薬師寺で、中学3年の修学旅行以来36年ぶりです。当時は観光バスに揺られて来ただけなので、周囲の状況は全く初めて見た感じでした。

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1528年の戦火で大きな被害を受け、奈良時代の建物は東塔だけしかありませんが、1968年から始まった「白鳳様式」伽藍の復興によって金堂や西塔も復元され、創建時の姿を伝えています。薬師寺東塔(西塔)の特徴は、各層に裳階(もこし)が付いているため、六重に見える三重塔になっています。明治時代に来日した美術史家のフェノロサが、東塔を「凍れる音楽」と表現して称えたことは有名です。

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36年前に訪れた時は、1981年に完成した西塔が出来立てほやほや(築5年)で、木部は鮮やかな朱色だったのを覚えています。私はその鮮やか過ぎる色に嫌悪感を覚えたのですが、娘は朱色の方が好きみたいでした(笑)

最後は、薬師寺のすぐ北にある唐招提寺です。大人になってから一度来たと思いますが、記憶が定かではありません。唐(中国)の高僧である鑑真が開いた道場が起源となり、鑑真の没後に徐々に整備されて唐招提寺へと発展しました。

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南大門を入ると正面に金堂があり、塔が立っていません。そして当時の金堂がすべて裳階(もこし)をもつか二重の屋根だったのに対し、すっきりした一層の屋根である点が特徴です。この「装飾の少なさ」に好感を覚える人は多いと思います。

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また、左右に樹木が茂っていて建物の端が少し見えなくなっていることも、奈良時代の他の仏教建築とは違った「日本的な」香りを感じさせます。

まだ時間はあったのですが、朝が早くて娘も疲れて来たので、ホテルに帰ることにしました。独りだったら欲張ってもう少し回っていましたが、世界遺産の3寺院が見られたので良しとしましょう。(つづく)

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岸 未希亜 

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