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2020.06.19 / 建築と住まいの話

東海道の町並み 有松

前回の「甲州市塩山」に続いて、未公開の重要伝統的建造物群保存地区(以下、重伝建地区)を紹介します。
愛知県には重伝建地区が2ヶ所あるのですが、その一つが東海道の宿場「有松(ありまつ)」です。すぐ近くには、織田信長が今川義元を討って天下統一への足掛かりとした「桶狭間古戦場」があります。

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有松は、五十三次(正規の宿場)には含まれず、三十九次の「池鯉鮒(知立)」と四十次の「鳴海」の間に後から設けられた「間の宿(あいのしゅく)」です。池鯉鮒宿と鳴海宿の間は11.3kmしかないものの、人家がまばらで追剥ぎがよく出たらしく、尾張藩が新たな村を開拓して知多全域に移住を呼び掛けました。

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名鉄有松駅で下車して南へ少し行くと、左右に延びる旧東海道に出ます。その辺りが町並みの中央付近なので、初めに東(江戸方面)の端まで行って折り返すことにしました。
この東側にも伝統的な町家は多く残っていますが、鉄骨造の四角い家や町並みに調和していない家も見られ、撮影ポイントはやや少なめ。伝建地区に選定されたので、年に数棟ずつでも改修が行われて、統一感のある町並みになってほしいと思います。

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中央付近に戻って来ると、有松随一の絞り問屋であった服部家の井桁屋があります。江戸末期の建築で、立派な卯建(うだつ)を立てた黒漆喰の主屋と、水切り瓦を段葺きにした土蔵が並んでいて、有松を代表する景観を形成しています。電線が埋設されて電柱が無いのも、とても良い感じです。

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この立派な商家は絞り問屋の竹田家です。鳴海宿から一里(約3.9km)しか離れていない有松は、茶屋宿としても立ち行かないことから、「何か名物を売ろう」ということで、竹田家先祖の竹田庄九郎という人が「有松絞り」を誕生させました。

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江戸時代初期に綿花栽培が盛んになると、それまでインド(中国)からの輸入に頼っていた木綿の値が下がり、木綿が爆発的に普及。農作地の少ない有松周辺の農家でも綿作は盛んで、その木綿に藍染めの技術を組み合わせ、高級感のある模様染めを考案したそうです。東海道を往来する旅人が、故郷への土産に「絞り」の手拭や浴衣などを買い求め、東海道随一の名産品となりました。

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先ほどの竹田家も県道を挟んだ西側にあるのですが、西側には眉をひそめたくなる家も少なく、町並みとしての完成度が高いと感じました。有松では天明4(1784)年の火災で村の大半が焼失したため、火災後に建てられた家の外壁は漆喰による塗籠造り、屋根は茅葺きから瓦葺きに替えられました。下段写真の家は、天明の大火後に建てられた小塚家で、卯建を立てて蔵を併設した立派な造りです。

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歌川広重「東海道五十三次之内 鳴海 名物有松絞」

有松の繁栄ぶりは北斎や広重の浮世絵にも描かれました。この鳴海宿の絵は、実は有松を描いたものだそうで、同じアングルで撮影したのが下の写真です。

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有松は「染織町」として2016年に選ばれた「若い重伝建地区」です(現在120ヶ所ある内の111番目に選定)が、重伝建地区に選ばれる前から一度は行きたいと思っていました。実際に私が訪れたのは選定前の2013年で、もう7年前のことになります。その時はコロナウイルスの流行など思いもしませんでしたが、今行くとしたら、有松絞りの布マスクを買うでしょうね。江戸時代の旅人のように(笑)

岸 未希亜

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