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2019.09.26 / よもやま話

父と娘の北陸巡り3

3日目も朝から雨です。連泊していた昨日は、荷物をホテルに置いてバスで移動できましたが、チェックアウトした今朝は、大荷物と一緒に金沢駅へ行き、駅レンタカーを借りました。目的地は世界遺産の合掌造り集落です。世界遺産であり、重要伝統的建造物群保存地区(以下、重伝建地区)に選定されている合掌造り集落が3ヶ所あることを、皆さんはご存知ですか?

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最も有名なのは「白川郷」の名で知られる岐阜県の「白川村荻町」です。私は6月に大工さんたちと行ったばかりですが、娘が「白川郷を見たい」と言うので、喜んで再訪することにしました。すぐ近くまで来ていながら、「五箇山(ごかやま)」の集落に行けなかったお父さんとしては、渡りに舟だったからです(笑)

金沢から白川郷へ行くには、金沢東ICから北陸自動車道に入り、小矢部砺波JCTで東海北陸自動車道を南下します。その名も白川郷ICまで高速道路の走行距離は約65km、約1時間で白川郷に着きました。
6月に「下見」していたので、今回は先に車で展望台へ向かいました。しかし行ってみてびっくり。6月の時に展望台だと思っていた場所は少し違っていて、本当の展望台があったのです。「再訪できて良かったぁ」と娘に感謝しました(笑)

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その後、車を観光車両用の駐車場に移して、合掌造り集落を歩きました。小雨が降ったり止んだりする天気だったため、山には水蒸気が立ち込め、幻想的な風景になっていました。白川村荻町については「飛騨へ修学旅行」に書いてあるので、併せてご覧ください。

高速道路を北上して五箇山ICで降りると、最初に重伝建地区の「菅沼(すがぬま)」が現われます。

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ここは全盛期の明治時代でも総戸数14戸、現在は9戸が残るだけの小さな集落で、その全てが合掌造り民家です。加賀藩の庇護の下、江戸時代には密かに火薬の原料とされる塩硝作りが行われていたそうで、隠れ里の雰囲気が確かにあります。そして、周りの自然景観も含めてとても美しい村並みです。白川郷と比べて観光客が極端に少ないのも好ましい感じでした。

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菅沼から10kmほど奥に入った山間部に、重伝建地区の「相倉(あいのくら)」があります。こちらは合掌造り民家が20戸、付属屋も多数あるため、菅沼よりは大きな集落です。

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五箇山の合掌造りは、飛騨の合掌造りに比べて規模が小さく、飛騨が平入り(家の長辺側・軒先側に出入口)なのに対して妻入り(家の短辺側・三角形の妻側に出入口)という違いもあります。娘も写真を撮りたいと言うので、「どっちが良い写真を撮れるか」対決をしながら、地図に書かれた展望スポットを巡りました。一番の展望スポットは、駐車場の脇から険しい道を上っていった所にあります。
雨は上がっていましたが、緑濃い山間の集落に白い靄がかかった様は、とても絵になる景色でした。

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五箇山から富山県中心部に向かう途中、「木彫刻のまち 井波」として日本遺産に認定された南砺市の「井波(いなみ)」に立ち寄りました。井波は、浄土真宗大谷派・瑞泉寺の門前町です。寺に向かう八日町通りは石畳の緩い坂道で、両側に並ぶ町家の店先では、彫刻をしている職人の姿も見られました。

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1390年に建立された瑞泉寺は、周辺の荘園を次々に支配下に収め、一向宗徒が一大勢力へと成長。しかし戦国時代になって織田信長が当地を支配するようになると、一向宗徒と織田勢の対立が激しくなり、1581年に寺と井波の町は焼き払われてしまいました。1596年になって瑞泉寺が再建された際の建築技法が、井波彫刻の始まりと言われています。

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江戸時代の1763年、瑞泉寺は火災で再び焼失。再建のために京都の本山(東本願寺)から彫刻師・前川三四郎が派遣され、地元大工にその技を伝えたこと、そして彼らが彫刻師として各地に出向いたことが「井波彫刻」の名を広めたそうです。前川の手による繊細な彫刻が施された瑞泉寺山門は必見です。

最後に、砺波平野を一望する山上の展望台へ向かいました。
私が「富山県・砺波平野」と聞いて最初に思い浮かべる光景は、この散居村です。

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散居村とは、屋敷林に囲まれた家々(農家)が約100m程度の間隔をおいて建てられたもので、富山の原風景の一つでしょう。しかし、風雪から家を守り、木材利用その他の役割を担ってきた屋敷林ですが、現代生活の中ではデメリットも顕在化し、徐々に失われつつあるそうです。ぜひ、今のうちに訪れてみてください。

夕刻、レンタカーを返す前に早めの夕食にしました。入ったのは、回転寿司「すし食いねぇ!」高岡南店。金沢では、回転寿司店が2時間待ちで諦めざるを得なかったため、今夜はリベンジです。娘は食が細いのですが、寿司と肉と麺類は大好きなので、まぐろ3点盛りなどを食べていました。私も北陸厳選盛り合せ(右から、かます/平目/天然真鯛/太刀魚/白エビ/へしこ)などを食べました。

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回転寿司と言っても100円均一ではありませんし、近在漁港から直送される魚やすし職人の投入など、石川・富山の回転寿司はレベルが高いということで、とても美味しかったです。
それでは最後に、合掌造り民家をバックにした親子写真で締めましょう。(つづく)

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白川郷・和田家の前で/五箇山菅沼にて

岸 未希亜

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