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2018.03.03 / よもやま話

平昌オリンピック

平昌(ピョンチャン)で開催された冬季オリンピックが閉幕しました。今大会は、日本が獲得したメダル数が冬季大会史上最多の13個(金4、銀5、銅4)ということで、非常に盛り上がりを見せました。その中で、皆さんが一番記憶に残ったシーンは何でしょうか?

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やはり多くの人が挙げるのはフィギュアスケートでしょう。五輪以外の場でもテレビに取り上げられることが多いので、選手の知名度が段違いです。女子はロシア(今大会はOAR)のメドベデワとザギトワのハイレベルな優勝争いに目を奪われました。男子は日本人の2人(羽生結弦と宇野昌磨)がワン・ツーフィニッシュで金・銀を独占し、日本じゅうが大いに沸きました。大会を振り返る雑誌の表紙は、ほぼ羽生選手一色です。
でも私が個人的に印象に残ったメダリストは以下に挙げる3人です。

Olympyon2.jpg 朝日新聞2月13日朝刊より

一人目は、スキージャンプ女子の高梨沙羅です。
ご存知の方には説明するまでもないことですが、彼女は4年前のソチ五輪で圧倒的な優勝候補に挙げられながらメダルを逃してしまい、その日のことを忘れたことがないと言います。前年度のワールドカップで総合優勝を果たし、ソチ五輪シーズンも絶好調でしたが、当日は不利な追い風を受けて距離が伸びず、4位に終わったのです。その後再び、ワールドカップ総合優勝を2度獲得するなど、世界一のジャンパーであることを証明してきた彼女ですが、今シーズンは外国勢の台頭でワールドカップの優勝が一度もないまま、オリンピックを迎えました。
結果は、現在の世界ランキング通り、ルンビ(ノルウェー)、アルトハウス(ドイツ)に次ぐ3位を勝ち取り、遂にオリンピックの表彰台に立つことができました。最後から3人目に飛んだ2本目のジャンプでメダルを確定させた瞬間、そしてライバルであり盟友の伊藤有希が駆け寄って祝福した時は感動しました。

Olympyon3.jpg 朝日新聞2月22日朝刊より

二人目は、スピードスケート女子の高木美帆です。
これまたご存知の方も多いと思いますが、彼女は8年前のバンクーバー五輪に中学3年生で出場したにもかかわらず、4年前のソチ五輪は出場を逃して捲土重来を期していました。今大会の個人種目では1500mで銀メダル、1000mで銅メダルを獲得するなど、実力を遺憾なく発揮したところです。
そうして迎えたチームパシュート。今シーズンのワールドカップでは、世界記録を3度も更新するなど、日本は優勝候補として大きな期待が寄せられていました。日本選手がつくる究極の「ワンライン」は空気抵抗を大きく減らし、外に大きく膨らむ先頭交代はタイムロスを最小限に止める技術の結晶だそうです。個人記録では劣る日本選手が、グループで世界の強豪(スケート王国オランダ)を破る構図は、陸上男子4×100mリレーと同じで痛快ですね。
全6周のうち、スタートと最後の3.5~4周で先頭を引っ張ったのがエースの高木美帆。8年前は補欠で出場が1度も無かったため、先輩が獲得した銀メダルをただ一人受け取ることができませんでした。あの時は100分の2秒差で惜しくも2位でしたが、先輩たちの借りも返した高木美帆に「あっぱれ」です。

Olympyon4.jpg 朝日新聞2月19日朝刊より

三人目は、スピードスケート女子の小平奈緒です。
スピードスケートの個人種目で金メダルを取ることが、どれだけ凄いことなのかは、競技経験のない私が言えることではありませんが、長野五輪の清水宏保と並び称される快挙だと思います。
彼女のエピソードも数多く語られていて、高校卒業後に実業団に進まず、信州大学で結城コーチの指導を仰いだこと。結城コーチの指導を受け続けるために地元でスポンサーを探し、相澤病院(松本市)所属となっていること。ソチ五輪後にオランダに2年間留学したこと。ワールドカップ500mで昨シーズンから無傷の15連勝中。優勝が決まった後にライバルの李相花(イ・サンファ)を称えた感動的なシーン。
どれも印象的なものですが、スタートラインに立った時の緊張感と、500mを36秒94で滑る姿をリアルタイムで見ることができて、本当に感動しました。
テレビの前に正座して固唾をのんで見守り、タイムが表示された瞬間は大声を上げてガッツポーズ。本の編集作業も終わったところだったので、オリンピックを存分に楽しむことができました(笑)

岸 未希亜

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