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2015.07.29 / 建築と住まいの話

土佐の町並み

「最後の砦・高知県」の続編です。前回は天守が現存する高知城と、坂本龍馬ゆかりの場所を訪ねました。そして高知市から東へ向かう途中、武市半平太の生家に立ち寄った所までお届けしました。

後半は私のライフワークとも言える「古い町並み」を訪ねます。高知県には重要伝統的建造物群保存地区(以下、重伝建地区)が2つあり、両者は比較的近くにあるので一度に回ることができるのですが、先に訪れたのは、武家屋敷が残る武家町の「安芸(あき)」です。

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阪神ファンにはタイガースのキャンプ地としてお馴染みの安芸市ですが、古くから高知市と室戸岬の中間に位置する要地でした。その地名は、古くからこの地を所領していた豪族・安芸氏に由来します。現在の市街地から北に2kmほどの田園地帯に、高さ1mを超える石垣と堀を巡らした安芸城跡と、土居郭中(どいかちゅう)と呼ばれる古い家並みが残っています。

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安芸氏は戦国時代になると、城や屋敷の周囲を土塁(土居)で囲み、防備を固めます。この屋敷町は整然と区分けされ、ウバメガシや竹の生垣を巡らしてあり、今日でも武家町の雰囲気を色濃く残していました。
安芸氏は結局、戦国時代の1569年に長宗我部元親に滅ぼされてしまいますが、長宗我部家も関ヶ原の戦いで失脚し、1600年に山内家(山内一豊)が土佐藩を治めることになります。その際、山内一豊の重臣であった五藤為重が安芸城主となり、安芸氏のつくった町割りをほぼそのまま受け継ぐと、五藤氏が代々治めて明治を迎えたそうです。

土居郭中の少し南側に、「野良時計」と呼ばれる時計台のある建物があります。

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明治30(1897)年頃に畠中源馬という大地主が、分銅も歯車も全て一人で手作りした時計だそうで、日本建築と時計台との組み合わせが和洋折衷でもあり、とても愛らしい感じがしました。当時は各家に時計などない時代だったので、近所の人たちに時刻を知らせたそうです。

その野良時計の脇に、用水路に沿って車がすれ違えないような細い道があり、古い塀や建物が残っていました。

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用水路にガードレールや柵がないのは危険な面もありますが、自治意識の高さと郷愁を感じさせる見事な景観だと思います。昭和63年に放送されたNHK連続テレビ小説「ノンちゃんの夢(主演:藤田朋子)」でロケに使われたという、立派な屋敷もまだ残っていました。

少し離れた所には、岩崎彌太郎(いわさきやたろう)の銅像があり、生家も残っています。

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岩崎は土佐藩の商社である長崎の「土佐商会」で腕をふるい、坂本龍馬がつくった海援隊も金銭面で支えました。廃藩置県後は大阪に出て、後の三菱財閥をつくった幕末屈指の経済人です。

次に訪れたのは、安芸(平成24年に選定)より古く、平成9年に重伝建地区に選定された室戸市の「吉良川(きらがわ)」です。

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ここは古くから林業が盛んで、近世には良質な木材や薪が取れました。特に薪は、火力が強いということで京都や大阪では好んで用いられ、明治期には需要が増して製炭が盛んに行われるようなり、京阪神への廻船業で大いに栄えました。海岸沿いの国道55号線を一本北側に入った道沿いに、在郷町として発展した古い町並みが残っています。

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通りを歩くと、この地方独特の水切り庇を巡らした土蔵が目を引きます。壁の途中に何段もある瓦の庇がそれで、安芸でも見かけた造りですが、吉良川の水切り庇はその段数が多くて圧巻でした。土佐は頻繁に台風が上陸する地域で雨の量も多いため、腰壁は瓦を貼った海鼠壁(なまこかべ)で防備し、上部の漆喰壁には油分を含んだ防水性のある土佐漆喰が使われています。それに加えて水切り庇が風雨を弾き、漆喰壁を守る役目を果たすという訳です。

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通りの北には細い路地があって、町家とは少し違った景色を見ることができます。風雨を防ぐためと思われる石積みの塀が所々に残り、特に丸い石を行儀よく積んだ石塀が可愛らしく、印象に残りました。

ところで、高知滞在中はずっと雨に見舞われ、青空が見られなかったのは残念でした。また室戸岬まで残り約10kmだったので(吉良川町からは室戸岬を見ることもできない)岬まで行きたかったのですが、高松に戻る高速バスに乗り遅れる訳にはいかず断念しました。
それでも高知東部を満喫することができ、十分に満足のいく旅でした。

岸 未希亜

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