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2014.12.09 / よもやま話

国立競技場の思い出 1

皆さんは、もうすぐ建て替えられてしまう国立競技場(東京都新宿区)について何か想い出がありますか?

50代後半以上の世代にとっては、何と言っても東京オリンピックがありますが、それより下の世代になると極端に接点が無くなるかもしれませんね。サッカー日本代表や大学ラグビーの試合、アイドルグループ嵐のコンサートなどが、国立競技場に足を運ぶ限られた機会だったかもしれません。

先日、神宮外苑でフットサルをする機会があったので、この歴史ある国立競技場を「見納め」して来ました。

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これは、千駄ヶ谷門からメインスタンドへ向かう坂道の写真ですが、懐かしくて涙が出そうです(笑)

1964年、東京オリンピックのメイン会場として建設された「国立競技場」の正式名称は、国立霞ヶ丘陸上競技場と言います。今年で築50年を迎えた国立競技場は、2020年の東京オリンピックに向けて新たに造り変えられることになり、今年の6月からは使用できなくなりました。度重なる入札不調により、競技場本体の解体は年明けにずれ込むとのことですが、一部の解体工事は始まっているようでした。

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サッカー小僧である私にとって国立競技場は「サッカーの聖地」でしたから、恐らく15回は行ったことがあると思います。
一番初めに足を運んだのは、父親に連れられて行った日本サッカーリーグの試合だと思います。プロ化以前の日本サッカーはメディアに取り上げられることもなく、ひっそりと行われていた感があり、6万人収容の国立競技場に数千人しかいなかったと思います(1000人程度だったかもしれません)。

そして何と言っても「全国高校サッカー」です。
1976-77年(昭和51年度)から首都圏開催となった「全国高等学校サッカー選手権大会」は、日本テレビの中継もあって人気を博しました。試合が行われるのは準決勝と決勝だけですが、元日に国立競技場を入場行進するのが高校生たちの憧れでした。実際に私も中学2年の時、神奈川県代表の鎌倉高校が入場行進する姿をテレビで見て、入学を決意したほどです(笑)

さてそんな私が小学6年生の時、大会の決勝は「清水東(静岡)vs帝京(東京)」という当時の黄金カードでした。

kokuritu03.jpg  『サッカーマガジン B.B.MOOK 高校サッカー我が心の「選手権」』より

私は友人と弟の3人でこの試合を見に行きましたが、実業団の試合では閑古鳥が鳴くスタジアムが超満員だったのを、昨日のことのように覚えています。後で知ったことですが、満員札止め6万2000人の観衆を集め、外には入場できない1万人の観衆がいたという伝説の試合です。

前年優勝の清水東高校には、三羽ガラスと言われた長谷川健太、大榎克己、堀池巧に加え、1年生ながら得点王になる武田修宏(現在タレントをしているあの武田です)がいて優勝候補の本命でした。対する帝京高校も近年に3度優勝していた名門校で、前回大会は準決勝で清水東に敗れていた宿命のライバル。
試合はエース前田治のボレーシュートが決まって帝京が優勝しましたが、満員の観衆の下で行われた熱戦は、国立競技場の想い出として子供心に深く残りました。

kokuritu04.jpg  『サッカーマガジン B.B.MOOK 高校サッカー我が心の「選手権」』より

さて、毎年元旦に行われるサッカー天皇杯の決勝戦も国立競技場が舞台です。

今年は、国立競技場の解体とアジアカップのスケジュールを考慮して、12月13日(土)に日産スタジアム(横浜国際総合競技場)で開催されます。

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決勝を戦うのは、先週の土曜日にJ1優勝を決めたガンバ大阪と、J2成績は6位ながら、昇格プレーオフで磐田、千葉を破ってJ1昇格を果たしたモンテディオ山形です。ガンバ大阪は今期のリーグ戦、ナビスコカップに優勝しているため、3冠獲得という高いモチベーションがあり、山形はいま最も勢いのあるチームで士気も高く、見どころ満載の好カードです。

ちなみにガンバ大阪の監督は、先ほど登場した清水東高校出身の長谷川健太です。彼は筑波大、日産自動車、清水エスパルスで活躍し、「ドーハの悲劇」も経験した元日本代表選手ですが、「ちびまるこちゃん」の作者である「さくらももこ」と同級生のため、時々ちびまるこちゃんにも「ケンタ」として登場します(笑)

岸 未希亜

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