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2013.09.30 / 建築と住まいの話

岩村城と城下町

アースデザインオフィスの活動報告が滞っていましたが、8月に本巣市で土壁の住宅が完成し、9月には土岐市でエアサイクルの住宅が完成。また長良川と揖斐川に挟まれた安八町では、ご実家の庭先に建てる子世帯の住宅が完成しました。現在は、基本設計をしたモデルハウスが本巣市で工事中、そして多治見市では新しいお客様の住宅を計画中です。

今回、その岐阜出張の機会を利用して、まだ見たことのない町並みを見に行ってきました。

mino1.jpg 美濃市美濃町(商家町:重伝建地区)

以前にもお伝えした通り、岐阜県には多くの町並みが残っています。特に有名なのは、合掌造りの民家が集まる白川郷、天領として栄えた高山、卯建(うだつ)の町並みとして知られる美濃です。いずれも重要伝統的建造物群保存地区(以下、重伝建地区)に選定されていて、観光地としても有名です。
岐阜県にはこの3市町4地区(高山には保存地区が2つある)以外に、重伝建地区がもう一ヶ所あるのですが、ご存知でしょうか。それが今回訪れた恵那市岩村町です。

iwamura01.jpg 恵那市岩村町本通り(商家町:重伝建地区)

岐阜県南東部の山間にある岩村町は、長野県と愛知県の県境にも近い小さな町です。8km北にある中央本線の恵那駅から第三セクターの「明知鉄道」が走っているとはいえ、交通の便がいいとは言えない場所にあるため、これまでなかなか来る機会がありませんでした。そんな訳で予備知識も少なく、過度な期待も抱かずにやって来たのですが、そのメインストリートを見て「来て良かった」と心から思いました。

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岩村は城下町としての歴史が古く、鎌倉時代中期には最初の城が築かれ、戦国時代には、西進する甲斐の武田軍とこれを阻もうとする尾張の織田軍が激しい戦闘を繰り返した場所でもありました。関ヶ原の戦いを経て松平家乗が城主になると城下町が整備され、岩村川を挟んで北側に武家屋敷、南側に町人町が配置されます。この町人町は、本町通りと呼ばれる1本の坂道を挟んだ両側に家が並び、城に近い上町には大工、指物師、鍛冶屋などの職人が住み、中町には問屋、下町には商家が並びました。この中町・下町が現在残る町並みの中心部で、江戸期の建物も多く残っています。

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ここの町並みは、平坦な道ではなく坂道というところが最大の特徴で、上り坂を登る時と下り坂を降りる時の景色が微妙に異なる点に面白さがありました。近世の城は平地に造られることが多いため、城下町も城の周囲に平面的に広がっているのが一般的です。しかし岩村城は中世からある山城のため、町も山の斜面に沿って坂道になっています。麓から山上へ続く一本道の城下町というのは、たいへん珍しい光景でした。

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また事前に見た写真には電柱や電線が残っていて、道路も普通のアスファルトだったのですが、行ってみたら電線は地中に埋設され、道路も淡い茶系色で舗装されていて印象が大きく違いました。日本はどこに行っても電柱と電線があって、これが「日本らしい景色」になってしまっていますが、電線のない町を見るとその美しさに溜め息が出ます。

続いてお城の話題に移ります。岩村城には現存する天守閣はもちろん、再建天守もないため、これまで全くノーマークだったのですが、奈良の高取城、岡山の備中松山城と並ぶ日本三大山城の一つに数えられ、城郭ファンにはつとに知られる名城なのです。

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標高717mの山頂に本丸を構えた岩村城は、江戸時代に諸藩が持つ城の中では最も標高の高い城で、明治維新まで存続しました。天嶮の山を利用し、地形に合わせた不整形な縄張りが特徴で、一の門に到達する前の前半部分は急勾配の石畳が続きます。本丸まで800mという標識を見て「大した距離ではない」と思ったのは間違いで、100m登るのに2~3分を要しました。やがて石塁(石垣)が多く見られるようになり、一の門、土岐門、追手門(いずれも門は残っていない)を過ぎると、城郭らしい雰囲気が漂います。山城は特に飲み水が大切なので、井戸が幾つか残っていました。

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本丸の石塁は山上にあるとは思えない立派な造りで、特に土砂崩れの補修を繰り返す過程で出来上がった六段の石垣は、人目を惹きつける見事なものでした。実は築城当初から岩村城には天守が無く、本丸には二層の櫓が2基あっただけでした。途中の追手門の脇に三層三階の櫓があり、これが天守の代用をしていたそうです。しかし本丸からは四方の山々を一望することができ、木々が生い茂っていなければ、城下町を見下ろすこともできたはずです。

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息を切らしながらこの本丸に立った私は、400年も前にこのような大規模な建築土木工事が行われていたことに興奮するとともに、永い年月を経ても変わらぬ景色があることに少なくない感動を覚えました。

岸 未希亜

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