「前編」から間が空いてしまいましたが、春休みの沖縄旅行の後編をお届けします。
最終日にホテルをチェックアウトした私たちは、最寄りの今帰仁(なきじん)城跡へ向かいました。今帰仁城跡は、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして世界遺産に登録されています。この「遺産群」は本島全域にまたがって範囲が広く、中南部の首里城や座喜味城跡など9ヶ所の歴史遺産が含まれます。
琉球王国が成立した1492年以前の沖縄本島は、北部地域を北山が、中部地域を中山が、南部地域を南山がそれぞれ支配しました。この三大勢力が争った時代をグスク時代と呼びます。グスクとは城のことで、北山の王は今帰仁城を拠点に北部を支配し、中国との貿易も行っていました。
しかし、首里城を拠点とする中山の尚巴志(しょうはし)によって滅ぼされた1416年、北山の歴史は幕を閉じます。その後、中山は北部地域の管理のために今帰仁城に監守を設置し、監守の居城として利用されましたが、1609年に薩摩軍による琉球侵攻があり、城は炎上したとされています。
そういう歴史を辿っているため建物は残っていませんが、総長1500メートルに及ぶ野面積みの城壁が残っています。しかも本州でよく見る四角形ベースの城郭ではなく、地形を巧みに利用した曲線状(屏風状)に築かれているのがユニーク。石垣をくり抜いた「平郎門」から内側が有料です。
一番高い所に主郭(本丸に相当)があり、建物跡が残っています。その奥にある斜面地には城主に仕えた人たちが住んでいた志慶真門郭(しけまじょうかく)があり、仰ぎ見る城壁が崖の上に鎮座しています。
この今帰仁村には現在「ジャングリア沖縄」というテーマパークが建設されています。今年7月25日のオープンに向けて準備中で、今帰仁村の新たな名所になることは間違いありません。
しかし35~50年前に建築学科の学生だった者であれば、今帰仁村と言えば1975(昭和50)年に完成した「今帰仁村中央公民館」のことが思い浮かぶはず。
1981年に建築学会賞を受賞した名護市庁舎とともに象設計集団(アトリエ・モビル協力)の代表作です。象設計集団というのは、建築家で早稲田大学教授・吉阪隆正が主宰するU研究室のメンバーによって1971年に設立された建築設計事務所で、土地固有の風土や歴史を丹念に調べ、それらを独自に解釈したヴァナキュラー(地域特有のもの/土着的なもの)な建築を生み出すことで知られています。
赤い列柱の存在に目を奪われますが、内部は2.25mグリッド4スパン単位(9m角)に囲われた部屋が単体で設けられ、部屋と部屋の間には「アマハジ」と呼ばれる広場、その周囲に回廊が造られています。床や梁や軒先に施された貝殻模様は、村民の手によって一つ一つ埋め込まれたそうです。
学校帰りの小学生や中学生グループが何組かいて、部屋や広場でお昼ご飯を食べたり、話をしたりしていました。50年前に建てられた古い建築ながら、村人に利用されて現役でいる姿に少し感動しました。
高速道路で本島を縦断して次に向かったのは、南部にある平和祈念公園です。ここは戦没者の追悼と世界に平和を発信する公園として、1972年に沖縄戦の終焉地である糸満市摩文仁に造られました。
平和祈念堂、平和の丘、平和の火、平和の礎(いしじ)などがあって、園内を歩いて回ります。平和の礎には沖縄戦で亡くなった約20万人もの名前が刻まれていて、背筋が凍るというと大げさですが、戦争のことを考えない訳にいかない場所です。長女が小さい時に家族3人で来ましたが、大学生と高校生になった娘には見せておく意味があると思って再訪しました。
沖縄戦の組織的戦闘が終結した6月23日を「慰霊の日」と制定し、毎年この平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が行われます。先週ちょうど、天皇皇后両陛下と愛子様が平和祈念公園を訪れた様子がニュースになっていましたが、今年は終戦から80年の節目の年に当たるので、追悼式が大きく報道されることと思います。
最後に訪れたのは、ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館です。
ひめゆりの塔は実際に訪れた方、ご存知の方も多いと思います。私も名前や概略ぐらいは知っていましたが、訪れたのは初めてでした。「ひめゆり」というのは、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校という2校の愛称で、1945年の沖縄戦では240人の生徒と教師が日本軍の病院に動員されました。
戦争前の学校の様子に始まり、戦時下の悲惨な体験までが展示されていて、沖縄戦の実像を知ることができます。後に「ひめゆり学徒隊」と呼ばれる240人のうち、実に227人が亡くなりました。
ここも娘に見せたい気持ちで寄ったのですが、展示内容は胸に迫るものがありました。特に生存者のインタビュー動画にいたっては、夫婦とも途中で席を立つことができず、最後まで見続けていました。
日本人であれば必ず一度は訪れるべき場所だと思うので、ぜひご覧になってください。
到着便が大幅に遅れたことにより、帰りの出発が2時間以上遅くなったのは想定外でしたが、那覇空港でゆっくり食事をしながら見た西の空は、雲の切れ間から光が差す美しい光景でした。
岸 未希亜