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2024.07.17 / 建築と住まいの話

歴史研の静岡ツアー

休みは家族のために捧げるか家で仕事をしている私が(笑)、先月珍しく休日らしい小旅行をして来ました。
今回は個人旅行ではなく、大学院の研究室仲間との旅行です。私が都内に住んでいて子供がまだ小さい時には時々会うこともありましたが、私が藤沢に引っ越して以降、子供が大きくなったこともあって会う機会がなくなっていました。ところが、今年の4月に飲み会の招集があって久々に集まり、その時にミニ建築ツアーに行く話が浮上したのです。大学の准教授をしている後輩と私の休みが水曜で、他4人は会社の代表だったりして融通が利くため、水曜日を軸に日程を決めてくれました。

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行き先は静岡市です。静岡市出身の同級生が地元に詳しいのでコーディネート役になり、見学先もスケジュールもお任せでした。4人は品川から、1人は新横浜から「ひかり」に乗って静岡に向かう中、自分だけが東海道線で三島まで行き、同じ「ひかり」に乗り込んで静岡駅で合流しました。

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最初に訪れたのはここです。誰もが社会(日本史)の教科書で目にしている「登呂遺跡」。あまりにも有名な弥生時代後期(1世紀頃)の集落で、国の特別史跡にも指定されていますが、訪れたのは初めてでした。点在している住居・倉庫は復元された建物です。

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この時代の住居を俗に「竪穴式住居」と言いますが、住居以外の目的で使われた遺構もあるため、最近は「竪穴建物」と呼ぶそうです。さらに、登呂遺跡は低湿地で地面を掘ると水が出てしまうため、地面を掘り下げて地面より低い所に床をつくる「竪穴建物」は不向きで、盛土で構築した土壁の上につくる「竪穴状平地建物」なのだそうです。調べて初めて知りました(笑)

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実は、当初の目的地は登呂公園内にある「芹沢銈介美術館」でした。この美術館は、渋谷区立松涛美術館や六本木にあるノアビルの設計で知られる建築家・白井晟一が設計したもので、建築学科卒の私たちの関心も「白井晟一」にあったのですが、展示替えのために美術館は7/1まで閉館ということで肩透かし。でも建築史研究室に所属していた私たちにとって、登呂遺跡は相応しいスタート地点だったかもしれません(笑)

次に訪れたのはJR東静岡駅の前に建つ「グランシップ」という文化施設です。

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この建築は、多くの会議室や展示ギャラリーの他、大ホール、中ホール、会議ホールを備えた県立複合文化施設で、設計したのは建築家・磯崎新(いそざきあらた)です。磯崎新はプリツカー賞の選考委員を務め、後に自身も同賞を受賞した国際的な建築家で、大分県立大分図書館(現アートプラザ)、北九州市立美術館、水戸芸術館、ロサンゼルス現代美術館、京都コンサートホールなどを設計しています。

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ホールに入ることはできませんでしたが、スケールの大きなアトリウムなど内部は贅沢な空間が広がっていました。この建物は西側ファサードがシンメトリーの強烈な造形で、東側は潜水艦(あるいはクジラ)のような形をしていて雰囲気が異なります。

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ところが完成後5~10年の間に、表面に貼られたスレート製の外壁が40回も剥落落下したそうで、現在は網のようなもので覆われていました。

その後、標高216mの小高い山の上にある久能山東照宮のすぐ脇を通って、三保の松原や東海大学海洋科学博物館のある三保半島へ向かいました。徳川家康の遺骸が最初に埋葬された久能山東照宮は、以前に大工さんとの旅行で訪れています(ブログでも紹介)。

清水エスパルスの練習グラウンド近くのレストランでのランチ後、三保乗り場から小型船に乗って約30分の清水港クルーズへ出航です。

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埠頭にはカラフルなコンテナが並び、コンテナを積み出すガントリークレーンがキリンのように立っています。そしてその向こうに富士山が見えるのは清水港ならではの景色です。

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また、清水港は地球深部探査船「ちきゅう」の母港になっているため、運が良いと探査船が停泊している所を見られます。「ちきゅう」は世界最高の掘削能力(海底下7000m)を持ち、巨大地震の震源を直に観察することで地震発生のメカニズムを解明する凄い船で、能登地震の探査にも出ていたそうです。

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さらに湾内にはイルカも泳いでいて、運が良いとイルカの姿を見られるそうですが、この日は背びれだけ拝めました。陸地からと海上からでは港湾風景も大きく異なるので、ぜひ海上から眺めてみてください。

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日の出埠頭の遊覧船乗り場に着岸すると、目の前には観覧車のあるエスパルスドリームプラザがあります。その隣には、船で運び込まれた荷物を貨物列車に積み替える「テルファー」という装置(登録有形文化財)が残されていました。

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また、近くの交差点にはサッカーボールの車輛ガードがあって、サッカーの町「清水」を実感できます。

その次に訪れたのは、清水港の歴史、荷役の変遷などを紹介している清水港博物館(愛称:フェルケール博物館)です。

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徳川氏の拠点である駿府と海(駿河湾)は巴川(ともえがわ)という川で結ばれていました。その巴川の河口に展開した川湊「清水湊」には、江戸時代に42軒の廻船問屋が軒を連ね、明治時代には波止場が建設されて清水港へと発展していったそうです。

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そして明治時代後半には清水港から直輸出が始まりますが、静岡が日本茶の産地ということで清水港は日本最大の茶輸出港となりました。その輸出用茶箱と蘭字(茶箱ラベル)の展示が鮮やかで綺麗でした。

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また、SSK(清水食品)が日本で初めて鮪油漬缶詰(ツナ缶)を本格的に製造し、米国に輸出。静岡がみかんの産地ということで、ミカン缶詰製造と輸出も始めるなど、缶詰の歴史も展示してあって面白かったです。

次に訪れたのは、清水港の日の出地区にある倉庫群です。

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木造で外装を石張りしているものと外装がモルタル塗りのものが混在していますが、切妻屋根が連続する景観はなかなか魅力的です。

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東京大学、常葉大学など6つの大学が連携して、日の出ふ頭倉庫群を中心とした継続的な調査とまちづくり活動「みなとまちプロジェクト」を進めているそうですが、形になるのはまだまだ先のようです。
国が認めるような文化的な価値があれば別ですが、民間事業となると「壊して新しい建物」になってしまうことが多いわが国です。これらの倉庫群が、清水港の文化や歴史的価値を受け継ぐ再生事業となることを願いつつ、日の出地区を後にしました。

たった一日で随分多くの場所を見て回りましたが、清水といえば「サッカー」しか知らなかった私の中に、「港町清水」の存在がしっかりと刻まれました。

岸 未希亜

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