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2020.12.03 / よもやま話

追悼 ディエゴ・マラドーナ

サッカーの元アルゼンチン代表で、20世紀を代表するサッカー選手の一人、ディエゴ・アルマンド・マラドーナ(以下、マラドーナ)が11月25日に60歳の若さで死去しました。突然過ぎる死の一報に私も驚きましたが、世界中で悲しみの声が発信されています。

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朝日新聞 11月27日朝刊より

1960年10月30日生まれのマラドーナは、15歳でプロデビューし、同国史上最年少の16歳でアルゼンチン代表入り。25歳で迎えた1986年のワールドカップ(メキシコ大会)で母国を優勝に導く大活躍によって、スーパースターの地位を確固たるものにしました。
軍事独裁政権、経済危機、英国とのフォークランド紛争で大きく傷ついた国民を勇気づけ、アルゼンチンにおけるマラドーナは、単なるサッカー選手以上の存在、まさに神に近い存在になるのです。
サッカーに詳しくない人でも、マラドーナの名前や存在は知っていますよね。

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NumberPLUS サッカー百年の記憶 表紙

マラドーナの全盛期は1980年代後半から1990年頃。今から30年も前のことなので、若い人にはピンと来ないと思いますが、私が中学・高校の頃にサッカー界の中心にいたのがマラドーナでした。ドリブラーではなかった私のアイドルは、フランスのミシェル・プラティニでしたが(笑)

私がマラドーナの存在を明確に認識したのは小学5年生の時、1982年のワールドカップ・スペイン大会でした。当時21歳のマラドーナは優勝候補筆頭のブラジル戦で思うようなプレーが出来ず、ラフプレーで退場。ほろ苦い世界デビューでした。
大会後にスペインのバルセロナに移籍。大怪我の後にイタリアのナポリに移籍して、ヨーロッパで地場を固めていた頃、満を持して1986年のワールドカップ・メキシコ大会を迎えます。

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サッカーマガジン別冊1986年秋季号より

この時のアルゼンチン代表は「マラドーナとそれ以外の10人」と呼ばれるほど、マラドーナ中心のチームでした。マラドーナの圧倒的な個人技を頼りに、他の10人は黒子に徹するのですが、まだ25歳と若いマラドーナと同年代か先輩にあたる選手が多く、チームとしての絶妙なバランスが感じられました。

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「神の手」Number1016より

1986年大会のハイライトは、準々決勝イングランド戦の2ゴールと言われています。「神の手ゴール」と「5人抜きゴール」です。「神の手」はVAR判定があれば明らかに「アウト」ですし、退場になってしかるべき悪質なプレーですが、マラドーナの狡猾な振る舞いがレフェリーの誤審を呼び、伝説のプレーになってしまいました(笑)

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「5人抜き」サッカーマガジン別冊1986年秋季号より

「5人抜き」にしても、現代サッカーでは考えられないぐらいディフェンスの寄せが甘いのが気になります(笑) 反則しようとしても止められない、メッシやロナウジーニョのドリブルと比べると、何とも牧歌的な空気が漂いますが、あの時代には誰も真似のできないスーパープレーでした。
メキシコ大会と言えば、そしてマラドーナと言えば、常にこの「5人抜き」が語られますが、個人的には準決勝のベルギー戦で見せた、4人をかわしてサイドネットに叩き込んだゴールの方が好きです。そして決勝の西ドイツ戦でブルチャガに出したスルーパスは最高でした。

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NumberPLUS サッカー百年の記憶より

翌1987年、マラドーナはナポリをリーグ(セリエA)初優勝に導きます。イタリアは北部と南部の経済格差が大きく、南部の田舎チームだったナポリを優勝させた功績は、私たち日本人の想像を超える偉業で、マラドーナはナポリの英雄になります。そしてナポリで2度目の優勝を果たした直後、1990年のワールドカップ・イタリア大会を迎えました。

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サッカーマガジン別冊1990年秋季号より

この大会のアルゼンチン代表は、世代交代やケガ人等の問題を抱え、4年前から大きく戦力ダウンし、試合内容も魅力に乏しかったのですが、マラドーナのスルーパス一発で宿敵ブラジルを破り、準決勝では優勝候補の地元イタリアを破ります。その会場がナポリのスタジアムだったことは神様の悪戯でした。

マラドーナがナポリ市民にもたらした歓喜はとてつもなく大きく、神とも王とも崇める特別な存在。試合はイタリアに勝ってほしいが、マラドーナにも活躍してほしい、ナポリ市民は複雑な心境だったのです。

決勝戦の相手は4年前と同じドイツ(東西ドイツ統一)。イタリアを敵に回したマラドーナには、試合中も容赦ないブーイングが。試合はドイツ優勢の展開ながら、マラドーナが何かを起こしそうな怖さがあって終盤までスコアレスでしたが、最後にあげたPKの得点を守ってドイツが優勝。マラドーナは敗れました。

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1994年ワールドカップ Number345より

その後、マラドーナの人生は大きく暗転します。ドーピング検査でのコカイン陽性反応。長期出場停止。報道陣へのエアガン発砲。1994年ワールドカップ前に代表復帰し、大会に出場するもドーピング違反で追放。監督になったり選手に復帰したり、薬物依存の治療を受けたりと破天荒な人生を送りましたが、常に貧しい人や弱者の味方で権威にも屈しない姿は、世代や国境を越えて愛されました。

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Number1016 表紙

なかなかブログを書く時間が取れず、訃報から1週間が経ってしまい、本日発売のNumberが予定を変更して「緊急追悼特集 さらばマラドーナ。神に最も愛された男」を刊行しました。自宅の本棚から古い雑誌を幾つも引っ張り出して読み込んでいたのですが、この1冊があれば事足ります(笑)
マラドーナについてもっと知りたい方は、ぜひお読みください。

岸 未希亜

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