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2020.06.12 / よもやま話

明智光秀の痕跡

今年の大河ドラマ「麒麟がくる」をご覧になっていますか?新型コロナウイルスによる収録の一時休止によって、先週の放送「決戦!桶狭間」で撮影済みの部分を使い切り、放送も一時中断となりました。

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ご存知だと思いますが、「麒麟がくる」の主人公は明智光秀です。光秀は、織田信長の家臣として活躍しますが、「本能寺の変」で主君を自刃に追い込んだ「裏切り者」のイメージが強いですね。私も日本史の授業からほとんど進歩していないので、そのイメージが拭えませんが、謀反の動機には様々な説があって、真実は謎に包まれているということです。

大河ドラマの主役に明智光秀が選ばれ、テレビの歴史番組でも「明智光秀」がよく取り上げられています。私も「本能寺サミット」という番組を見ましたが、通説として語られてきた「怨恨説」は根拠となるエピソードの多くが二次資料のため、後世に脚色されて書かれたものが多いそうです。
根拠の一つとされる「惟任退治記(これとうたいじき)」は羽柴秀吉が書かせたもので、秀吉目線が多分に盛り込まれているとか。参加していた歴史学者のほとんどが「怨恨説」に否定的でした。

明智光秀の前半生には謎が多く、出生については諸説ありますが、出生地の一つとして有力なのが岐阜県可児市の明智城です。アースデザインオフィスの新しい仕事で多治見市まで来たので、隣接する可児市まで足を延ばしてみました。

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上:JR可児駅/下:新可児駅と名鉄の車両

まずは多治見駅からJR太田線で可児駅へ。岐阜県内には東海道本線、中央本線、高山本線という主要幹線が走っていますが、太田線は多治見駅と美濃太田駅を結ぶローカル線で、汽車は1時間に1~3本でした。可児駅で下車し、名鉄新可児駅から名鉄広見線に乗り換えて1つ目が、その名も「明智」駅です。

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明智城跡までは徒歩25分でしたが、駅にはバスもタクシーも停まっておらず、まあタクシーはあっても乗りませんが(笑)、多量に汗をかきながら歩きました。この場所一帯が、大河ドラマにも描かれていた「明智荘」で、土岐明智氏発祥の地として明智一族が代々住んでいた村です。

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明智城の麓には、明智家の菩提寺である天龍寺(曹洞宗)があり、境内には明智氏歴代の墓所もあります。本堂には日本一大きいと言われる184cm(光秀の命日6月13日にちなんで6尺1寸3分)の光秀の位牌があり、旧暦6月には「光秀供養祭」を行っているそうです。

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明智城は自然の地形を生かした典型的な中世の山城(築城は1342年)で、「城」というよりも「土塁」と呼ぶべき簡素な造りです。駅から歩いた時に前方に見えた小高い山(というか森)がそれで、麓の入口から細い道が山上へと延びていました。鳥居のようなシンプルな大手門が復元されている以外、山上の本丸跡までは特に何もありません。

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ドラマでも描かれたように、斎藤道三の嫡男・斎藤義龍に攻められた際、光秀は西美濃、越前へと落ちのびますが、城主であった叔父の明智光安らが自害して落城しました。本丸跡には、7人の武将を祀る「七ツ塚」や本丸跡の石碑などがあります。
そして、この6月に建立されたばかりの明智光秀公銅像が、白布を被せられたお披露目前の状態で立っていました。

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北向きの展望台からは明智荘が一望できます。鉄道や高速道路が整備され、住宅や店舗などが建ち並んだ近景は、光秀のいた時代と大きく変わりましたが、その向こうには飛騨や木曽の山々が見え、右奥にはうっすらと御嶽山の姿もありました。大都市のように昔日の面影が全く残っていない場所と違い、薄目で見れば(笑)、460年前の戦国時代と変わらない風景、雰囲気が感じられます。

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明智光秀らがこの地で暮らしていたことを想像すると、歴史を身近に感じられますね。

岸 未希亜

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