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2019.09.13 / よもやま話

父と娘の北陸巡り1

わが家の夏休みは、家族で旅行をしたり、母子3人で北海道に里帰りをしたり、娘たちは毎年必ずどこかに出掛けてきました。しかし今年は、来春に高校受験を控える長女の夏休みが、塾の夏期講習で埋まっています。それでは次女が可哀想だということで、父子2人で旅行することになりました。
「どこに行こうか?」と娘に聞くと、「石川県か三重県」と言ったのでびっくり。「お前、渋いねぇ」と笑いつつ、私自身が大学2年生以来、金沢や石川県を訪れていなかったので、「じゃあ石川県に行こう」と即決しました。

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往路は夜行バスで行くことにしました。早朝に家を出るより効率的で身体も楽なこと、コストを抑えられることはもちろんですが、娘にとっては初体験の夜行バスも想い出になります。妻が一緒だったら確実に却下されていましたが(笑)
夜行バスの需要は高いらしく、金沢・小松行きのバスは予約で満席でしたし、横浜シティ・エア・ターミナルは人で溢れていました。夜10時に横浜を出発し、「バスタ新宿」を経由して翌朝7時半には金沢駅に到着。残念ながら予報通りの雨でしたが、早速レンタカーを借りて能登半島を北上しました。

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最初に訪れたのは「万葉集」にも詠まれた気多大社(けたたいしゃ)。強い雨が降る早朝の神社は静かで厳かな雰囲気がありました。

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次に訪れたのは巌門(がんもん)。日本海の荒波が穴を開けた岩壁で、能登半島西岸に約30km続く「能登金剛」の中でも一番の見どころです。

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その次は「鳴き砂」で知られる琴ヶ浜。鳴き砂とは歩くとキュッと音がする砂のことで、かつて日本の海岸の多くは鳴き砂でした。しかし開発や海浜汚染によって現在では30ヶ所ほどに減少。私は17年前、京都府京丹後市の琴引浜で「鳴き砂文化館」の建設に関わったため、ちょっとだけ鳴き砂に詳しいのです(笑)この日は雨だったので砂は鳴きませんでしたが、海岸清掃をはじめ、「鳴き砂」を守るために活動されている方々の姿が思い浮かびました。

中心部から20km以上離れた輪島市の南西部に、黒島(くろしま)という重要伝統的建造物群保存地区があります。建物の特徴は板張りの外壁と真っ黒な瓦で、風化した板は一様にシルバーグレー色になっていて、統一感のある町並みを形成しています。

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能登西岸にあって元々は漁村だった黒島は、江戸時代に入ると海運業が盛んになり、17世紀末から明治元年までは天領となったため、大いに経済が発展したそうです。廻船問屋の旧角海家住宅(重要文化財)は、表通り側に店を構え、裏側の海に向かって蔵が並び、海側には荷上げをするための出入口があります。

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以前に見たことがある、北海道・江差の旧中村家も同じような構えをしています。共通点は北前船の航路で、江差はニシン漁で栄えた町です。ここ黒島の町並みの中ほどに、高低差のある敷地でブロックを組み合わせたような面白い家もありました。

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そして、輪島と言えば何と言っても「輪島塗」ですね。娘にも見せておきたかったので、輪島の中心部まで移動して輪島塗会館を見学しました。建物の2階が輪島塗資料展示室になっていて、製作工程や用具などが展示してあります。

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1階は輪島塗ショップになっていて、市内約60軒の漆器店が共同出店しています。馴染みのある箸やお椀も並んでいましたが、とても友だちのお土産に買える値段ではなく、娘はびっくりしていました。

輪島塗の特徴は「本堅地(ほんかたじ)」と呼ばれる漆器の伝統的な下地技法にあるそうです。「塗り」の工程だけでも百以上の手数をかけ、完成までに半年から数年を要するとのこと。展示室入口に並んだお椀の綺麗なディスプレイがそれを表していました。

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「のと里山海道」と呼ばれる自動車専用道路(しかも無料)が能登半島を縦断しているので、輪島から金沢まではスムーズに帰れます。最後に、疲れて助手席で眠ってしまった娘の一日を振り返りましょう。(つづく)

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気多大社/巌門/権現岩/旧角海家

岸 未希亜

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