3月21日、シアトルマリナーズのイチロー(鈴木一朗)選手が引退しました。
東京ドームで行われたMLB(メジャーリーグ・ベースボール)の開幕戦。その2日目の試合途中で「イチロー引退」のニュースが流れ、思わずテレビの野球中継から目が離せなくなった方も多いと思います。私もその一人でした。
昨年のシーズン直前に、古巣のマリナーズと電撃契約を結んだイチロー選手は、開幕から試合に出場したと思ったら、僅か15試合で「会長付き特別補佐」という肩書きを与えられて、試合に出場できなくなりました。この流れは、契約時から決まっていたことかもしれませんが、「引退」ではなく「帯同」であったことは驚きでした。
しかし、試合に出られないことが分かっていながら、イチロー選手は誰よりも早くグラウンドに来て、チームメイトと同じように練習し、アドバイスを送ったりしていたそうです。試合に出られないことへの葛藤、俗にいうモチベーションの低下は無かったのか。それについてイチロー選手の言葉を紹介します。
「これは、もう一度、フィールドに立ってプレーするということへの新しい挑戦ですけど、これがけっこう、楽しいんです。誰にでもできる挑戦じゃないと思ったんですよね。その状態には少しだけ誇りを持てているかもしれません。自分がやってきたことへのささやかな誇りというか、矜持。今の僕がやっていることを見て、プロとしての誇りを持ってやっているように見えているのなら、それは嬉しいですね」
イチロー選手が日本球界で頭角を現したのは3年目のシーズンでした。シーズン210安打の最多記録を叩き出し、打率も4割に届くかという.385をマークして首位打者。「頭角を現す」どころではなく、いきなりのスター誕生でした。セカンドベース上で記念プレートを掲げる初々しいイチロー選手の姿は、私のまぶたにも焼きついています。
オリックス・ブルーウェーブの選手として日本で残した記録だけを見ても圧巻です。1994年から2000年まで7年連続で首位打者に輝き、通算打率は.353というハイアベレージ。1995年にはパ・リーグ優勝、1996年には日本一に貢献し、子供でもお年寄りでも日本じゅうの誰もが知っている存在でした。
舞台をMLBに移し、新庄選手とともに野手のメジャーリーガー第一号となった2001年。開幕からヒットを量産してオールスターゲームのスタメンに選ばれ、終わってみればシーズン242安打、打率.350で首位打者に輝きました。過去の実績が意味を成さない世界で、日本での活躍をそのまま実行してみせた姿は、本当に眩しかったですね。
2004年にはMLBの年間最多安打記録を84年ぶりに更新する262安打を記録。2009年にはMLB史上初の9年連続200安打を達成し、張本勲のプロ野球記録を抜く日米通算3086安打。翌年は200安打記録を10年連続に延ばし、2016年には日米通算ながらピート・ローズの最多安打記録4256安打を抜き、MLBでの通算3000安打を達成(史上30人目で日本人唯一)。とにかく凄い実績を残した野球選手であることは明らかです。
超一流選手の引退と言えば、余力を残して惜しまれながら去るとか、来シーズンの戦力として微妙な立場を悟って自ら身を引く、といったイメージがあります。しかしイチロー選手の場合、メジャー登録25人枠を目指して、約1年前から努力を積み重ねながら力及ばず、実質的には「戦力外」を告げられたところが異例中の異例でした。メジャーの厳しさを知るとともに、今まで見てきた引退劇とは違う結末に、心が震わされた一日でした。
岸 未希亜