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2026.06.26 / よもやま話

父と娘の栃木紀行2

2日目は生憎の雨でした。東照宮の拝観時間が9時からなので、まずは8時過ぎに東照宮の隣にある二荒山(ふたらさん)神社をお参りしました。宇都宮市にある二荒山神社(宇都宮二荒山神社)と区別するため、日光二荒山神社と呼ばれています。

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大鳥居を潜って階段を上がると神門があり、その先に拝殿(その奥に本殿)があります。拝殿の左側に「神苑」という有料エリアがあったので入ってみました。

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神輿舎

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二荒霊泉

狭い範囲に化灯籠(ばけどうろう/重要文化財)、神輿舎(みこししゃ/重要文化財)、福を招く大国様を祀る大国殿(重要文化財)などが点在し、その奥には二荒霊泉(ふたられいせん/重要文化財)という神仏の強い力が宿る湧水があります。

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二荒山神社は日光三山(男体山・女峰山・太郎山)を神体山として祀る神社です。日光三山は霊峰として古くから信仰されてきた山々で、下野国の僧・勝道上人が二荒山(男体山の旧名)に神を祀る祠を建てた767年が創建と伝えられています。

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本殿

江戸時代初期に日光東照宮が創建されると、二荒山神社も江戸幕府や諸大名だけでなく民衆からも崇敬を受けることになり、徳川秀忠によって1619年に本殿(重要文化財)が再建されました。

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銅鳥居と楼門

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東照宮側にある銅鳥居(重要文化財)と楼門を潜り、37基の灯籠が並ぶ上新道を歩いた先に日光東照宮があります。ご存知だと思いますが、東照宮は徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を主祭神として祀る神社で、他に久能山東照宮(静岡)と上野東照宮(東京)があります。

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高さ9m、柱の太さ360cmもある石造りの鳥居、階段の上にある表門はどちらも重要文化財です。早朝にもかかわらず、修学旅行生や外国人観光客が押し寄せていて、昨日訪れた場所とは人の数がまるで違いました。小学6年時以来43年ぶりに訪れたのですが、陽明門の前で集合写真を撮った記憶ぐらいしかなく、初めて来た娘と大して変わりません(笑)

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表門を潜ると左側に神厩舎(かみきゅうしゃ)と呼ばれる馬屋があり、ここに有名な「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿の彫刻が施されています。猿が馬を守る動物であるという伝承を受けて猿の一生が描かれた8枚の木彫像の1つですが、「三猿」の木彫像だけが圧倒的に知られています。

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陽明門(国宝)は入母屋造り銅瓦葺きで、東西南北の四面に唐破風があります。屋根を支える組物は上層が三手先(みてさき)、腰組は四手先で、柱上だけではなく柱間にも組物を並べる詰組(つめぐみ)になっており、軒は二軒繁垂木(ふたのきしげだるき)で扇垂木という、禅宗様(ぜんしゅうよう)を基調とした建築です。

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組物を構成する肘木や斗(ます)は黒漆塗りに金箔をあしらい、組物の先端には獅子や龍の彫刻が施されていて、見る者を圧倒します。柱や貫などの軸部が胡粉塗りで白くなっているのは新鮮でした。

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御本社

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陽明門を潜ると正面に現れるのが、将軍や大名だけが通れた唐門(国宝)で、唐門の両側に続く鮮やかな透塀(すかしべい)も国宝です。唐門は御本社(拝殿・石の間・本殿)の入口で、陽明門よりも小ぶりながら彫刻の数は陽明門より多い611体もあり、見入ってしまいます。拝殿には入れますが、撮影は不可でした。

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家康が眠る奥宮(おくみや)の入口となる坂下門の手前、東回廊の壁に「眠り猫」の彫刻があります。寝ていると見せかけて、家康を守るためにいつでも飛び掛かれる姿勢を取っているとの説があるそうです。

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家康の墓所である奥宮は、長い石段を上った先にあります。塀で囲まれた内側に、分骨された家康の骨が納められているという宝塔が建っています。43年前にここへ来た記憶は残っていませんが、久能山東照宮にも神廟(しんびょう)という家康の墓所があり、同じような造りだったのでデジャヴのように感じました。

次に訪れたのは、大谷石(おおやいし)採石場跡に造られた大谷資料館です。私は17年半前に来ているのですが、娘が喜ぶと思って再訪しました。

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大谷石は、宇都宮市大谷の付近一帯から採掘される軽石凝灰岩の石材です。柔らかくて加工がしやすいことから、古くから外壁や土蔵の材料として使用され、高度成長期には分譲地の擁壁などに多用されました。建築家フランク・ロイド・ライトが、1922(大正11)年に建設された帝国ホテルの壁材に採用したことで、多孔質の独特な風合いが広く知られるようになりました。

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大谷の周辺には、大谷石造りの土蔵が数多く見られます。地域の素材を用いた風土性を感じる景観です。

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資料館と言っても、ここは大谷石の地下採掘場跡なので、驚くような大空間が広がっています。その広さは140m×150mで、深さは平均30m(最深部は60m)もあり、誰もが秘密基地のように感じると思います。

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古くは薬師丸ひろ子主演の映画「セーラー服と機関銃」、近年では映画「るろうに剣心」、ドラマ「イチケイのカラス」、映画「翔んで埼玉」などの他、音楽のPV撮影も数多く行われています。
平均気温は8℃しかなく、戦後は政府米の貯蔵庫としても使われるなど、巨大な冷蔵庫でもあります。

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この円形の交差点を知っているでしょうか?海外の写真で見たことはあっても、日本ではあまり見かけないと思います。資料館のすぐ近くにこの「ラウンドアバウト」があってビックリ。通り抜けてから思わず車を停め、写真を撮りに戻ってしまいました(笑)

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次に訪れたのは宇都宮市にある「響屋」という工務店です。雑誌『チルチンびと』の購読者だったらご存知だと思いますが、響屋は「地域主義工務店の会」会員で、SGEC(エスジェック:「緑の循環」認証会議)の森林認証を受けた地元の木材を使って「チルチンびと仕様の家」を建てる工務店です。

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社長で設計監理を自ら行う渡辺響子さんは、2006年に「吉田桂二の木造建築学校」に通われていたので、1年間だけ私との交流があります。その後は全く連絡をしていませんでしたが、「チルチンびと」を通して活動を時々確認していました。そんな響屋が昨年、『成功した「夫婦工務店」』という本を出されたのには驚きましたし、ちょっと会ってみたいなと思うキッカケになりました。

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『チルチンびと』との出会いをきっかけに2005年に設立された響屋は、同年に地域主義工務店の会にも入会。同会の研修で桂二さんや田中敏溥さんといった建築家から設計ノウハウを学び、モデルハウスは木造建築学校に通う直前の2006年3月に完成しています。この家は施主のために建てたものでしたが、紆余曲折あってモデルハウスになったとのこと。まだ勉強中だったとは思えない、良い間取りに感心しました(笑)
響子さんとは20年ぶりに話をした訳ですが、考え方の近い同志なので、共感するところも多かったです。

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この時間は娘には退屈だろうなと思ったので、響屋に行く前に宇都宮美術館で下ろして別行動にしました。美術館では「ゴッホの跳ね橋と印象派の画家たち展」をやっていたので、響子さんと予定が合わなかったら自分も一緒に見るつもりでしたが。

最後に訪れたのは、重要伝統的建造物群保存地区(以下、重伝建地区)の栃木市嘉右衛門町(かうえもんちょう)です。

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巴波川(うずまがわ)の舟運で栄えた栃木市の町並みと言えば、川沿いに蔵が並ぶ倭町(やまとちょう)の町並み、市中心部の「蔵の街大通り」が知られていますが、重伝建地区はその北にあります。中山道から分岐して日光東照宮へと向かう「例幣使(れいへいし)街道」は、「蔵の街大通り」を経て北へと延びており、街道に沿って嘉右衛門町の町並みが続きます。
「例幣使」とは伊勢神宮の神前に捧げものを持って行く使者のことでしたが、東照宮に宮号が宣下されると、朝廷は日光東照宮にも同じように勅使を派遣するようになり、例幣使街道が整備されました。

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岡田嘉右衛門が独力で開拓したとされる嘉右衛門新田村。栃木町の商圏の広がりに伴い、その北に接した嘉右衛門新田村も発展し、街道沿いに土蔵造りの見世蔵(みせぐら)や出桁造りの店舗が並びます。しかし、そうではない家の割合も高く、全体的にはまだまだ修景が必要な町並みだと思いました。

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重伝建地区の中央に、新築と見間違えそうな建物があります。味噌工場跡地に市の複合施設としてオープンした伝建地区拠点施設で、館内に改修前の写真があったので、旧建物の外観を引き継いで内部を新しくした建物だと分かりました。

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また、例幣使街道は緩やかにカーブしているので景色の変化が楽しめますし、曲がり道沿いの重伝建地区は希少なので、嘉右衛門町の特徴の1つになっています。

2026年6月現在の重伝建地区は129ヶ所。私が訪れた重伝建地区の数は、桐生新町、嘉右衛門町の2ヶ所を加えて91ヶ所になり、初めて70%を超えました。この調子で未踏の地を減らしていきたいところです。

日が暮れてきたので、蔵の街大通りには行かずに帰路につきました。帰りは東北道から首都高に入り、池袋・飯田橋を経て辰巳JCTから湾岸線に入って神奈川県へ。夜の首都高は久しぶりだったので、道を間違えないかと緊張しました(笑)

岸 未希亜

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