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2025.11.28 / よもやま話

父と娘の東北旅行4 岩手後編

3日目の夜は水沢駅(岩手県奥州市)近くのホテルに泊まり、翌日は水沢から北に7km余り離れた金ケ崎に向かいました。「金ケ崎町城内諏訪小路」は重要伝統的建造物群保存地区(以下、重伝建地区)に選定された武家町です。

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金ケ崎は岩手県南部にありますが、江戸時代は現在の宮城県とともに仙台藩(伊達氏)に属していました。仙台藩は幕府に対しての功績が認められ、一国一城令の発布後も例外的に仙台城と白石城を持っていましたが、その他に軍事拠点として21ヶ所の要害を置きます。南部に9ヶ所、中部に7ヶ所、北部に5ヶ所の要害があり、重臣とその家臣団を配置して小城下町を形成しました。北上川以西では最北端となる防御の要が「金ケ崎要害」です。

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重伝建地区の一角に金ケ崎要害歴史館があったので、駐車場に車を停めて町を探索しました。北上川沿いの高台に要害(旧金ケ崎城)の跡地があり、それを取り囲むように武家町が形成されています。

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表小路と達小路(だてこうじ)は桝形(見通しを悪くするためのクランク)で繋がり、生垣に挟まれた通りの風景は金ケ崎を代表する撮影スポットです。

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各敷地は道路に面して間口よりも奥行きが広く、道路側に家と庭があり、奥の方は畑になっていて半士半農の暮らしをしていました。建物の背面(北側)には防風林が植えられ、北風や雪、暑さから家を守る役割を果たしていました。

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屋敷の構造は当地方特有の三ツ屋形式と呼ばれる配置で、主屋、厩(うまや)、厠(かわや)が横一列に並びます。歴史館の隣に復元された「片平丁・旧大沼家侍住宅」は内部も見ることができますが、この日は水曜休館だったので見られませんでした。

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金ケ崎要害歴史館は開館日だったので、入場料を払って市の職員に解説をしてもらいました。歴史的なことは全然知らなかったので勉強になったのと、この地域の方言交じりのイントネーションがほっこりして、耳に心地良かったです。

金ケ崎の次は平泉に向かいます。途中で前沢(奥州市)を通るため、昼食は前沢牛が食べられるレストランに行く予定だったのですが、見つけられずに和風ファミレスに入ってしまいました・・・。もっと丁寧に探せば目的の店はあったのですが、残念でした。

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平安時代末期、前九年の役(1051年)に続く後三年の役(1083年)の争いに勝利した初代・藤原清衡(きよひら)は、現在の岩手県中南部、秋田県、宮城県に及ぶ広大な領土を手に入れ、東北の一大勢力になりました。その後、拠点を江刺から平泉に移し、ここから藤原3代(清衡・基衡・秀衡)約100年に渡って奥州藤原氏による黄金時代を迎えます。

平泉には往時の寺院や遺跡が数多く残っていて、中尊寺、毛越寺(もうつうじ)、観自在王院跡、無量光院寺跡、金鶏山の5つが「平泉―仏国土(浄土)を現わす建築・庭園及び考古学的遺跡群―」として世界文化遺産に登録されています。中でも最も有名なのが中尊寺でしょう。

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江戸時代に植樹されたという幹の太い杉の老木に囲まれた月見坂という急坂を上がると、弁慶堂、地蔵堂、薬師堂などがあり、その先の開けた所に本堂があります。

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中尊寺は天台宗東北大本山で850年に開山。比叡山延暦寺と同様、天台宗開祖の最澄が1200年前に灯した「不滅の法灯」が護持されています。
道はさらに続いていて、大日堂、鐘楼、阿弥陀堂などが並び、その先に拝観券を購入する有料エリアがあります。

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国宝の金色堂は3間四方(9坪)宝形屋根の小さな仏堂で、藤原三代の遺骸を安置しています。極楽浄土を表現するため、垂木、斗供、壁、扉など全てが金箔で覆われていて、目が眩むほどの荘厳さ。風雪から守るために新覆堂(しん・おおいどう)という建物の中に収められ、外からは見えません。写真撮影も禁止されているので、しばらく立ち止まって目に焼き付けました。

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その奥には、新覆堂の建設に伴って1965(昭和40)年に現在の場所に移築された旧覆堂(きゅう・おおいどう)があります。金色堂を風雪から守るために鎌倉幕府が建造したと伝えられ、重要文化財に指定されています。天井の高い木造のお堂で、かつてここに金色堂が収められていたことを想像してみると面白いです。
そして、寺に伝わる様々な仏像を集めた宝物館が賛衡蔵(さんこうぞう)。ここでは多くの国宝・重要文化財が見られます。

20数年前、当時買ったばかりの新車(SUBARU REGACY B4)に乗って、妻と2人で北海道帯広市の妻の実家へ行ったことがあります。その際にも中尊寺を訪れたので今回が2回目なのですが、駐車場と金色堂の記憶はあるものの、途中の景色を全く覚えておらず、初めて来たような新鮮さがありました(笑)

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次に訪れたのは無量光院跡です。三代秀衡が宇治の平等院をモデルに造営した典型的な浄土庭園ですが、現在は土塁と礎石、池が残っているだけです。道を挟んで住宅が立ち並んでいるため、ただの公園に見えてしまいますが、復元のための調査が進められているそうです。

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次に訪れたのは毛越寺です。創建時の伽藍は焼失してありませんが、庭園が特別史跡・特別名勝に指定されています。二代基衡が造営を始め、三代秀衡が完成させた庭園は、平安時代に編纂された現存最古の造園書『作庭記』に記された世界(理想の浄土庭園の姿)を表していると言われています。

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庭園中央に東西180m、南北90mに及ぶ大泉が池があり、周囲の山を景色に取り込んだ壮大な庭園になっています。南大門から中島(池の中にある島)、さらに中島から対岸へと橋が架けられ、正面には金堂(円隆寺)がありました。金堂は左右に折れる翼廊が平等院鳳凰堂を思わせる建物で、今は堂宇・回廊の基壇・礎石・土塁などが残されているだけですが、在りし日の姿を想像したくなる空気感でした。

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大池は海を表現しているため、州浜、荒磯、築山など海浜の景趣が配されています。中でも南東部にある岬とその先に据えられた立石を中心とする荒磯(ありそ)のデザインは美しく、毛越寺庭園の代表的な撮影ポイントです。

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最後に訪れたのは、達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)です。実は平泉(毛越寺)から厳美渓(げんびけい)に向かって車を走らせていたら、偶然その横を通って「あー」と叫び、Uターンして駐車場に車を停めました。横を通るまで忘れていましたが、実はここも2度目の訪問で、20数年前は厳美渓から平泉に向かう途中で立ち寄ったのだと思います。

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歴史を振り返ると、平安時代初期、桓武天皇から征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂が東征し、801年に蝦夷を平定します。仏教の守護神である毘沙門天のご加護による戦勝だと感じた坂上田村麻呂は、清水の舞台を模した懸造り九間四面のお堂を建て、窟毘沙門堂(別名:窟堂)と名付けたそうです。
切りたった崖に食い込むようにして建つ姿は、三仏寺投入堂(鳥取県三朝町)にも似ていますし、何とも魅力的な建物でした。その西側の岸壁には大麿崖仏が刻まれています。明治29年に胸から下が地震で崩落したため、岩肌には顔だけが残っていて「顔面大仏」と呼ばれています。

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一応その後で厳美渓にも行きました。しかし夕方で駐車場が閉まる間際だったため、往復45分かかる散策路は歩かず、パッと見て帰ったという感じでした。

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一ノ関駅前でレンタカーを返し、帰路は定番の新幹線。やまびこ64号(18:38発)で帰る計画でしたが、思ったより早く駅に着いたので1本前のはやぶさ112号(17:48発・全車指定席)に乗りました。東北新幹線に乗り慣れていないため、駅で特急券を変更する際に「<やまびこ>と<はやぶさ>はどっちが早いですか?」と聞いてしまいました。東海道新幹線で言えば「のぞみ」と「ひかり」の違いを聞いたようなものなので、駅員も一寸驚いていました(笑)

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娘の印象に残ったベスト3を聞いたので発表します。第3位:抱返り渓谷の回顧(みかえり)の滝、第2位:中尊寺金色堂、第1位:秋田県立美術館の企画展「ミネバネ!現代アート」。予想外の結果でした(笑)

岸 未希亜

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