3日目は父母ヶ浜を19時過ぎに出て、20時までに丸亀駅でレンタカーを返して丸亀市内のホテルにチェックインしました。翌朝の散策は、ホテルの窓からも見える丸亀城です。
丸亀城も12ある現存天守の1つ。現存天守だけでなく、規模が判明している失われた天守も含めた中で日本最小面積の天守だそうです。一方で丸亀城の石垣は総高(段々状になった石垣の合計高)が約56mあって日本一の高さを誇ります。
駅の方から丸亀城へ行くと、城の北側(瀬戸内海側)に張り巡らされた内堀に出ます。前述の通り、小さな天守が三の丸・二の丸・本丸という三段階に積み上がった石垣の上に鎮座していて、より小さく見えます。日本一高い石垣の迫力が凄く、大手門越しに見る天守の姿も、書院表門越しに見る天守の姿も美しいです。
丸亀城天守は一般の日本建築と違って、平側(桁行方向)よりも妻側(梁間方向)の方が大きいため、ちょっと不思議なプロポーションです。石垣の高さが日本一なので、幕府への配慮から天守はなるべく小規模にしつつ、海(北側)からの見た目が良くなるようにした工夫なのだそうです。
周囲に高層建築や山がないため、全方位に渡って本丸からの眺望が開けています。特に瀬戸内海に面した北側の眺望が素晴らしく、北東方向には瀬戸大橋(児島・坂出ルート)がハッキリ見えました。
ホテルをチェックアウトすると、丸亀駅からJR予讃線に乗って高松駅へ向かいました。瀬戸内海に面している高松駅からは、高松港フェリー乗り場まで歩いて行けます。
フェリーの主な行き先は小豆島、直島、豊島で、私たちは直島(宮浦港)行きのフェリーに乗船しました。娘の最初の希望は豊島でしたが、豊島よりも直島の方が見どころが多いため、直島への変更を娘も納得してくれました。
直島のフェリー乗り場は東西に2ヶ所あり、西側の宮浦港が便船も多くメインのようです。港の目の前にはレンタサイクルの店が幾つかあり、そこにトランクを預けて自転車を借りましたが、全て電動自転車だったので時代を感じました(笑)
直島、豊島、犬島を舞台にベネッセホールディングスと公益財団法人福武財団が展開しているアート活動「ベネッセアートサイト直島」は、瀬戸内海に囲まれた島の自然や地域固有の文化の中に、現代アートや建築を置くことで特別な場所を提供しています。したがって建築関係者の関心も高く、当社社員の中にも直島を訪れている人が何人もいました。
最初に安藤忠雄設計の地中美術館を訪れたのですが、オンライン予約制になっていることを知らなかったので見られませんでした(空いていた夕方は乗船予定時刻で断念)。仕方なく次の李禹煥美術館(りうふぁんびじゅつかん)に向かいます。
ここはヨーロッパを中心に活躍している韓国出身アーティスト・李禹煥の個人美術館で、やはり安藤忠雄設計の建築も見どころです。コンクリート打ち放しの壁が幾重にも重なるだけで、何か期待感のようなものを抱かせますね。屋外にもアート作品が展示してあり、自然と共存していました。
次に訪れたのは、ベネッセハウスミュージアム。「自然・建築・アートの共生」をコンセプトに美術館とホテルが一体になった施設です。宿泊者はバスで施設の目の前まで入れるのに対し、自転車の駐輪場が離れた場所にあって暑い中を相当歩かされました。島や施設にお金を落とす人が優遇されるのは仕方ありませんが、ちょっと露骨な感じで笑いました。
このベネッセハウスも安藤忠雄設計のコンクリート建築で、円形の展示空間あり、2層分の高天井空間あり、瀬戸内海の景色が眺められるテラスありと、安藤ワールド全開でした。
駐輪場まで歩く道路脇の海沿いに、上から見ると「海に下りていく幅広い階段だけ」に見える安藤忠雄らしい建築がありました。「シーサイドギャラリー」と呼ばれるその建築の下には、花崗岩の球体と木製のオブジェで構成されたアート作品が展示してありました。
東ゲート横の波止場の先には、有名な草間彌生の作品「南瓜」があり、記念撮影スポットになっています。
次に訪れたのは、空き家などを改修して家や空間そのものを作品化する「家プロジェクト」が展開されている島東側の本村地区です。
作品化した家以外にも漁村らしい町並みが見られますが、こんなに大勢の観光客が徒歩や自転車でウロウロしていると暮らしにくくないか心配になります。築100年の木造民家の内部に打ち放しコンクリートの空間を造った「ANDO MUSEUM」もありましたが、安藤建築は食傷気味だったのでパスしました(笑)
その本村地区で直島町役場が目の前に現れた時、思わず「あーっ」と声が出てしまいました。ガイドブック等には紹介されていないこの直島町役場(1983年竣工)は、建築家の故石井和紘氏が設計した有名な建物なのですが、この瞬間まで忘れていました(笑)
鉄筋コンクリート造4階建てながら、庁舎らしくない非対称の形態と不思議な窓の形をしています。これは京都の西本願寺飛雲閣(国宝)を模した形で、窓には京都の揚屋建築である角屋(重要文化財)の欄間、塩尻の民家・堀内家(重要文化財)の障子引手を引用。他にも日本建築から数多くの引用を試みるなど、悪趣味とも取れるキッチュなデザインになっています。賛否は分かれる建築ですが、これほどアートな建築も他ではなかなかお目にかかれないと思います。
1970年代後半から90年代はじめにポストモダン建築の流行があり、石井和紘はその代表的な建築家の一人で、私と同世代かそれ以前に建築を学んだ人なら誰もが知っている有名人です。今や直島の建築と言えば安藤忠雄が独占している感じですが、それ以前は直島の建築といえば石井和紘ワールドでした。小学校(研究室の一員として参加)、幼稚園、町民体育館・武道館、中学校、そしてこの直島町役場を設計しています。
町役場の裏には、老朽化した公民館を2015年に建て替えた「直島ホール」があります。大きな屋根の存在感と桧の板葺き屋根が目を惹く建築ですが、地域住民のためのコミュニティ施設なので、内部の見学はできませんでした。
直島の伝統的な民家の暮らしを手掛かりに、卓越風や地下水等の自然エネルギーと自然素材を生かした建築で、安藤建築とは対称的なアプローチです。設計は瀬戸内を活動拠点にしている三分一博志氏で、犬島アートプロジェクト「精錬所」で日本建築学会作品賞を受賞している建築家です。
後で調べたら、内部空間はさらにインパクトがありました。鉄骨造とはいえ小屋組みが無く、稜線を消した局面天井を漆喰塗りでシームレスにしたドームのような空間です。これは見てみたかったですね。
帰路は宮浦港16:02発のフェリーで岡山県の宇野港に向かい、宇野駅から岡山駅に出て岡山駅17:40発の新幹線のぞみ号で帰りました。後は何事もなく家に帰るだけだったのですが・・・。
前日の夕方に日向灘を震源とする大きな地震がありましたが、この日8/9の19時57分に神奈川県西部を震源とする地震が発生。名古屋駅でひかり号に乗り換えた私たちは静岡県を走行中でしたが、地震の影響で新幹線が止まってしまい、静岡駅の手前で車内に閉じ込められました。1時間程度で動き出したものの、徐行運転やストップを繰り返し、小田原駅には2時間強遅れでの到着でした。
在来線(東海道線)もノロノロ運転だったので、藤沢駅に着いたのは予定より3時間遅れ。長時間移動で身体は非常に疲れましたが、新幹線が2時間以上遅れると特急料金が返金されるという車内放送を聞いてびっくり。後日洗い戻しを受けた幸福感と、遅延による疲労感が相殺されて良い思い出になりました(完)
岸 未希亜