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2022.10.25 / よもやま話

父と娘の古都巡り3

時間が空いてしまいましたが、古都巡りの最終回です。
一日目はレンタカーに荷物を積んで移動し、二日目はホテルに荷物を置いての移動でした。しかし三日目は荷物と一緒に移動しなければならず、しかも予報では雨という最悪のコンディションの中、キャリーケースを引きずりながらJR奈良駅まで歩きました。今日は奈良から京都に向かうJR奈良線に乗ります。

最初に訪れたのは宇治です。宇治には世界遺産が2つあります。

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一つは誰もが知っている平等院、もう一つは宇治上神社です。宇治上神社は平等院に比べて知名度が低いため、観光客は少ないのですが、本殿は平安時代後期の遺構で、現存する日本最古の神社建築。拝殿は鎌倉時代前期に建立され、現存する最古の寝殿造りです。建築史の上では非常に重要な建物なのですが、大人にもあまり知られていないので、もちろん中学生のアンテナにも引っ掛かりません(笑)
そんな訳で、私たち親子も平等院だけを見て来ましたが、ちょうど着いた時に雨が降っていたので、背景はどんよりした曇り空。手前の阿字池を雨滴が叩いていました。

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平等院は、藤原氏の別荘だった宇治殿を、藤原頼通が1502年に寺院に改めたもので、翌年、極楽浄土を再現しようと阿弥陀堂を建立しました。この阿弥陀堂は、鳳凰が翼を広げたような姿をしているから、あるいは屋根の棟の両端に鳳凰の飾りがあることから、江戸時代になって鳳凰堂と呼ばれるようになります。

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鳳凰堂は中堂の両側に楼閣造り吹き放しの翼廊があり、背後に尾廊が取りつくという特異な形式です。正面から見た鳳凰堂は10円硬貨にも刻まれているので、日本人なら誰もが知っていますね。翼廊の天井は人が立って歩けないほど低い等、全体・細部ともデザイン重視の建築になっています。
中堂には本尊の阿弥陀如来像(平安時代きっての仏師・定朝(じょうちょう)作)が安置され、内部の板壁と扉には九品来迎図が描かれ、長押上の小壁には雲中供養菩薩像が52体掛けられています。この菩薩像はいずれも輪光を負って雲に乗っており、楽器を演奏したり、舞を舞ったり、様々な姿勢をしている点が面白いです。中堂内を見学したのは初めてだったので、今回はこの菩薩像に心惹かれました。

鳳凰堂の横には平等院ミュージアム「鳳翔館」があります。

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館内は撮影禁止なので出口の広場と庭

史跡名勝に指定されている庭園の景観を守るため、建物の大半が地下に埋まっており、館内には国宝の梵鐘や鳳凰、中堂内にある雲中供養菩薩像のうち26体、重要文化財の十一面観音立像など、貴重な文化財を多数展示しています。以前に来た時は無かったので初めて見学しましたが、実物の鳳凰や雲中供養菩薩像が近くで見られるので、非常に見応えがありました。

そして、宇治は言わずと知れたお茶の産地。駅前にはお茶屋さんが幾つもあります。その中に娘がネット検索で見つけたスイーツ(アイスバー)を売っている店があり、寄り道しました。

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次に訪れたのは伏見稲荷大社。商売繁盛の神として全国に約3万社ある稲荷神社の総本宮で、親しみを込めて「お稲荷さん」と呼ばれています。711年に創祀されたと伝えられ、以来、五穀豊穣をもたらす神として信仰されました。応仁の乱で焼失した後に再興され、現存する本殿は重要文化財に指定されています。

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この伏見稲荷大社は世界遺産ではないのですが、外国人観光客の人気ナンバーワンと言われている観光名所です。人気の理由は境内にある「千本鳥居」で、中学生のアンテナにもしっかり引っ掛かりました(笑)

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奥社に向かう参道を上っていくと、朱色の鳥居がつくる2つのトンネルが現れます。参拝者が鳥居を奉納することで、願い事が「叶うように」という祈り、「叶いました」という感謝の念を表そうとする信仰は、すでに江戸時代に興っていたそうで、それがこの光景を生み出すことになりました。
山頂に向かう参道にも奉納鳥居は数多くありますが、背の高さに近い鳥居が隙間なく並んだトンネルのような感じと、道がカーブしていて先が見えない期待感が相まって、外国人ならずとも千本鳥居はワクワクしますね。

話は変わりますが、京都といえば北山杉の磨き丸太。当社がつくる家にも、磨き丸太は度々使われています。

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北山杉を育て販売している中源さん(中田社長)とは、20年以上のお付き合い。この日はちょうど市内で会合があったため、中田さんと四条烏丸の大丸京都店で待ち合わせ。喫茶店で1時間余りお話しをした後、最後の訪問先まで車で送ってもらいました。

旅の最後に訪れたのは龍安寺です。次女は金閣寺、銀閣寺、清水寺に来たことがありますが、今回選んだのはこの有名な石庭でした。拝観時間も残り僅かという夕刻でしたが、方丈の広縁には多くの人が佇んでいました。

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龍安寺が創建されたのは室町時代の1450年。徳大寺家の別荘を譲り受けた細川勝元が、妙心寺の「義天玄承(ぎてんげんしょう)」を迎えて、大雲山龍安寺としました。ここも応仁の乱で焼失しますが、息子の細川政元が復興させ、江戸時代初期には塔頭21ヶ寺を数えるほどの大寺院になります。しかし、火災で方丈・仏殿・開山堂が焼失してしまい、現在の方丈は塔頭の西源院から移築されたものです。

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そして龍安寺と言えば、何と言っても枯山水の石庭です。正式には「方丈庭園」といいますが、石庭の石を島に見立て、白砂に線を描くことで水の流れを表現していることはあまりにも有名ですね。
そしてこの石庭の縦横比は、最も美しいとされる黄金比になっています。また、石庭を囲う油土塀は方丈側が高くなるように傾斜をつけ、奥行き感を強調する造りになっていることが分かります。

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折しも雨が強く降り出したため、石庭の手前にある雨落ち溝が川のようになっていました。「雨に煙る枯山水」という珍しい光景を眺めていたい気持ちと、雨が止むまでは外に出たくない気持ちが相まって、しばし雨宿りしている感じになりました。

方丈の裏側には「知足の蹲踞(ちそくのつくばい)」と呼ばれる手水鉢があります。かつて茶室に入る前に、手と口を清めるために使われていました。

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中央に空いている四角い穴を「口」の字に見立てることで、上から時計回りに「吾唯足知(われただたることをしる)」と読めます。不完全なことに不満を持たず、今あるものに満足して感謝の心を持つべきという教えを説いているのですが、この図案化は秀逸なアイデアですね。

その後はバスで京都駅に戻り、お土産とお弁当を買って新幹線に乗りました。行きは夜行バスで6時間半の道程でしたが、帰りは約3時間に短縮。父と娘の2泊3日の古都巡りが終わりました。

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岸 未希亜

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