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2012.12.15 / よもやま話

紅葉狩り(後篇)

前日の滋賀県から京都へ移動しました。

京都に一年で最も多くの観光客が集まるのは11月末の3連休と言われています。それは京都の紅葉が見ごろになるためです。東福寺、清水寺、永観堂、常寂光寺など、紅葉の名所と言われる社寺も数多く、かつて放映されていた「そうだ、京都行こう」というJR東海のCMは印象的でしたね。
偶然とはいえ連休直後の平日ということで、紅葉の見ごろでありながら観光客が減った(といってもまだ多いですが)京都を歩くことができました。

初めに訪れたのは、洛南にある泉涌寺(せんにゅうじ)です。
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東福寺と谷を挟んで隣り合うこの寺の存在は、恥ずかしながら知りませんでした。泉涌寺は、仁治3年(1242年)に四条天皇が葬られてからは歴代天皇の山陵(天皇・皇后の墓)が営まれるようになり、皇室の菩提所として篤い信仰を集めているお寺です。
大門(重要文化財)を潜ると、下り坂の両脇から木々がせり出し、その先に唐様建築の立派な仏殿(重要文化財)が見えます。JR東海のポスターで見かけたような印象的な光景でした。

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境内の奥にある御座所は天皇家が使用していた部屋ということで、釘隠し金物などに菊の御紋が使われていました。御座所の庭園は地表を落葉が覆っていて、紅葉の見ごろは過ぎていたようですが、池に見立てた白砂と苔に覆われた大地、石、木々のバランスが美しい上品なお庭でした。

次に訪れた(というより前を通りかかったら紅葉が見事だったので寄り道した)のが永観堂(えいかんどう)です。
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古くから「秋はもみじの永観堂」と言われるだけあって、その紅葉は見事のひとことです。平日にもかかわらず観光客も多く、その人気ぶりがよく分かりました。

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永観堂の正式名称は禅林寺といいますが、中興の祖とされる永観(ようかん)に由来して一般的には「永観堂」の名で親しまれています。住所も京都市左京区永観堂町、という具合ですから(笑)


ここでお昼ご飯を紹介します。
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西陣にある水炊き屋「鳥岩楼」のランチメニューである親子丼です。ガイドブックにも掲載されている有名店のようですが、京都人に連れていっていただいたので、味は保証付き。美味しかったです。

続けざまに甘味を紹介します。
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北野天満宮の目の前にある「粟餅所 澤屋」は300年以上続く老舗で、創業は江戸時代前期の天和2年(1682年)です。甘さを控えたこし餡で包んだ粟餅、黄粉をまぶした粟餅、どちらももちもちの食感で幾つでも食べられそうな感じでした。硬くなったら美味しくないので神奈川県へ持ち帰るようなお土産には不向きとのこと。ぜひ現地でご賞味ください。

最後に訪れたのが、衣笠山の南麓にある等持院です。
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金閣寺や龍安寺のすぐ近くにあるのですが、その2寺に比べると地味な存在でもあり、自分も初めて訪れました。足利尊氏が建立した等持院は足利将軍家歴代の菩提所で、歴代将軍の木造が霊光殿に安置されているのを見ることができます。
方丈の衝立には、赤い衣を羽織った迫力のある僧侶の絵が描かれていて「どきっ」としました。天龍寺の顔として有名な「達磨図」と同じ図案ですが、臨済宗天龍寺派の寺院ということで同じものがあるようです。

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等持院の庭園は夢窓疎石の作と伝えられる池泉回遊式庭園ですが、様式的には江戸時代中期ということです。無窓疎石とは、鎌倉時代末から活躍した臨済宗の禅僧で、京都の西芳寺や天龍寺など優れた庭園を設計した人物としても知られています。ちなみに前篇でお伝えした多治見市の永保寺庭園は、正真正銘の夢窓疎石作になります。
それはさておき、書院から眺める西の庭も、2つの池の周りを回遊する北の庭も、どちらも落ち着きのある素晴らしい庭園で、控えめながら美しい紅葉も色を添えていました。

今回は誰もが行ったことのある有名な場所ではなく、ツウが行く穴場の京都巡りでした。いつも磨き丸太でお世話になっている、北山杉生産者の中田さんに案内していただいたお陰です。ありがとうございました。

岸 未希亜

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