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2012.02.21 / 建築と住まいの話

土壁の家

今月の初めに岐阜へ出張して来ました。

進行中の2件のプロジェクトの打合せ、そして新規のお客様との顔合わせ兼ヒアリングのためです。

東海道新幹線をよく利用する人でも、「岐阜羽島駅」で降りたことのある人は少ないと思いますが、今回の案件は、その岐阜羽島駅からほど近い長閑な風景の中での計画です。
建て主のご両親が住む実家の、広い敷地の一画に家族4人が暮らす家を設計します。

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さて今回の出張では、岐阜で設計中のH邸で採用する左官仕事について打合せをするため、左官工事を依頼する名古屋の勇建工業を訪問しました。

神奈川県では、特殊な建物など一部にしか土壁の仕事は残っていないと思いますが、愛知県では今でも土壁の家を造っている工務店が結構あります。

勇建工業も土壁を実践する工務店で、設計から施工全般まで手掛ける建築の請負工事をやりながら、その優れた左官技術に引き合いがあり、他社の建物で左官工事を担うことも多いそうです。

そんな同社のモデルハウスは、柏崎(新潟県)の民家を移築して様々な左官仕上げを施した建物で、打合せスペースには土壁の塗り見本と、形も大きさも様々な鏝(こて)が並んでいました。
地元の土、豊橋黄土、聚楽土など、土といっても様々な色の違いがあり、仕上げ方も含めればバリエーションは多彩です。

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特に「大津磨き」という高級仕上げは、鏝(こて)に加えて布を使って磨き込むことにより、鏡のような光沢をもつ美しい壁になります。下の写真のように照明を反射してしまうほどの輝きです。
外壁の仕上げにも土佐漆喰を塗るのが同社の標準です。
土佐漆喰は完成すると水に強く割れにくい壁になります。
壁に段を付けて水切れをよくする「鎧仕上げ」は、雨の多い地域でよく見られます。

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手近な材料で造られていた昔の家は、俗に「木と紙と土で出来ている」と言われますが、地元の土をふつうに壁に塗っていました。

愛知県は「三州瓦」という日本最大の瓦の産地であり、またINAXの本拠地であり焼き物の町として名高い「常滑」があります。
そんな「土」の文化が受け継がれている土地なので、土壁を望む施主がいて、左官仕事が今も残り、そして左官職人が育つという好循環になっているのでしょう。

土壁の下地といえば、柱や梁の間に竹を組む竹小舞下地が一般的です。
以前に関わった岡山の家でも、このような竹小舞下地の土壁の家をやったことがあります。
柱間には貫と呼ばれる構造部材が入るので、土の定着を良くするために、藁を縦にして土と一緒に伏せ込む「貫伏せ」を行うなど、様々な工夫があります。

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現代の住宅では、筋交を併用することも可能な木摺り下地を用いることが多いと思います。
間柱に「木摺り」と呼ばれる横木を打って土壁の下地をつくり、下塗り、中塗りと土を塗り重ねて、仕上げに漆喰や色土を塗ります。
塗り厚が厚いので、ボード下地に比べると調湿機能や音の反響などが大きく違うそうです。


私たちは、なかなか本物の左官工事を目にする機会がありません。
品質の同じ「製品」や経済効率が優先されるようになって、工期が長くかかり、工事費も高く、場所によって、人によって仕上がりも異なる左官仕事は敬遠されてしまいました。職人の数も大きく減っています。

しかし、土という素材の自由さ、洗練された職人の手仕事を目の当たりにして、単に「古いモノを残す」ということではなく、これからの時代にこそ相応しい「暮らしの中に自然を残す」仕事に違いないと思いました。


岸 未希亜

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