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2023.02.23 / 建築と住まいの話

京都研修後編(大山崎山荘)

聴竹居を見学した後、昼食を挟んでアサヒビール大山崎山荘美術館を見に行きました。
大山崎山荘というのは、実業家の加賀正太郎が自ら設計して1932年に完成した英国チューダー様式の別荘で、淀川を見下ろす天王山の山麓にありました。

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加賀正太郎はニッカウヰスキーの創業に参画した人物です。独自のウイスキー製造を目指して寿屋(現サントリー)を辞め、北海道余市町に会社(後のニッカウヰスキー)を創業した竹鶴政孝に出資し、晩年まで竹鶴を支えました。そして自身が亡くなる前に、同社の株を親交の深かった朝日麦酒株式会社(現アサヒビール)初代社長の山本為三郎に託したことは、朝ドラ「マッサン」にも描かれていたと思います。

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大山崎山荘は様々な所有者の手に渡り、バブル経済末期には一体にマンションを建てる計画が持ち上がりました。しかし地元住民が山荘と周囲の森林の保全を訴えたことから行政が動き、当時の府知事の友人であったアサヒビール社長の樋口廣太郎が保存に協力することになります。
土地は京都府や大山崎町が業者から買い取り、建物はアサヒビール初代社長・山本為三郎のコレクションを展示する美術館として再生されるのですが、建築設計・監修を行ったのが建築家の安藤忠雄さんでした。ちょうど私が大学生の時に「安藤忠雄建築展」があって、「大山崎ミュージアム」のプロジェクト模型も展示されていたことを思い出します。

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本館である山荘の建物は鉄筋コンクリート造ですが、外側に木の柱を組んでその間をレンガの壁で埋めたハーフティンバー工法を採用しています。2階には喫茶室、その南側には広いテラスがあって、木津川、宇治川、桂川(3つの川が1つになって淀川)や、石清水八幡宮のある男山を一望することができます。

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本館のすぐ横にある「地中の宝石箱」は、建物の大半が土に埋まった鉄筋コンクリート造の展示室。本館から外に出ると、鉄筋コンクリートの細長い階段が地中に下りて行きます。四角く細長い廊下・階段と円形の展示室という幾何学の平面形は、まさに安藤建築の真骨頂。新旧の対比が顕著に感じられました。

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山荘の地下に円形の展示室をつくるプロジェクト模型が頭に残っていたので、実物を見て「あれっ」と思いましたが、実際は山荘の隣に無理なく建築されていました。そして敷地に大きな高低差があるため、「地中の宝石箱」と称される展示室も、南側から見ると完全な地下ではありません。庭園の木々の中に埋もれているように建っている点も好ましかったです。

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ほとんどの参加者が帰り、私を含めて5名だけで最後に訪れたのが、山崎駅からほど近い水無瀬神宮です。

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ここは後鳥羽上皇が造営した水無瀬離宮のあった場所で、承久の乱に敗れた上皇が隠岐に流されて亡くなった後、この地の下賜を受けた水無瀬氏が御影堂を建てたのが始まりだそうです。
ここを訪れた理由は、後水尾上皇好みと伝えられる重要文化財の茶室「燈心亭」を見るためです。

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千利休が大成した草庵茶室は、閉じた小空間に必要最小限の窓があけられた、静かでほの暗い空間です。それに対して公家の茶事は、もっと明るく開放的な空間で営まれました。茶室の外に縁側が回っていて、戸障子が大きく開け放たれる晴れやかな設えで、桂離宮の庭園に点在する茶屋(松琴亭など)がその代表例と言えます。

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「燈心亭」は茶屋の系譜に連なる開放的な空間ながら、小間の茶室としての設えと意匠を備えている点に大きな特徴があります。丸太や下地窓といった草庵茶室の要素を用いながら、公家の世界独特の雅に満ちた空間、遊び心に溢れた感覚がとても面白く、私の好きな茶室の一つです。
20年ぐらい前に一度来たことはあるのですが、再び訪れることができた幸福感に浸りながら帰路につきました。

岸 未希亜

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