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2023.10.06 / よもやま話

父と娘の山形紀行3

2日目はまず、朝の銀山温泉を散策しました。前回のブログで見ていただいた通り、やはり太陽の下の町並みと夜景の違いは随分ありましたね。次は雪景色を見てみたいものです。

銀山温泉を出て最初に訪れたのは、上五十沢(かみいさざわ)の集落です。

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通称「上五十沢」の正式名は村山市五十沢で、山形盆地(村山エリア)の北東部、五十沢川上流の山間部にある山村です。「茅葺き屋根の農家が多く残っている」という記事を読んで行って来ました。

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しかし実際に行ってみると、茅葺き屋根はほとんど残っていません。「10棟ほど残っている」という記事は古いものだったようです。それでも、元は茅葺きだったのだろうなというフォルムの民家が点在し、少し雰囲気を感じられました。最盛期は20戸のうち15戸が茅葺きだったそうです。

次に訪れたのは天童です。天童と言えば「将棋駒」の生産量が日本一(全国の約9割)で、将棋駒の産地としては日本で唯一、国の伝統工芸品に指定されています。

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天童駅の中には天童市将棋資料館があり、表には「最年少名人誕生! 藤井聡太竜王」の垂れ幕がかかっていました。現在行われている王座戦に勝つと、遂に8冠独占です。そして郵便ポストにも将棋の駒が・・・

木工家具を生産する天童木工もあります。市内にある天童木工本社にはショールームが併設されているので、見学して来ました。

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旧天童町の大工・建具・指物の業者が集まって、1940年に「天童木工家具建具工業組合」を結成したのが天童木工の始まりです。戦後、成形合板を使った家具の本格生産に着手し、1953年に愛媛県会館(設計:丹下健三)の客席椅子を成形合板で1,400脚納入するなど、建築家や工業デザイナーからの依頼を形にしてきました。中でも1956年に製作した、柳宗理のバタフライスツールが有名です。

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成形合板による家具造りを得意とする天童木工は、他にも車のハンドル等のモビリティパーツ(自動車内装部品)も手掛けています。また、プレス工程に「圧密浸漬処理」を行うことで国産針葉樹の活用の場を広げ、全国各地の施設で地元の木材を利用した家具も製作しています。この地産地消の家具造りは、素晴らしいプロジェクトだと思いました。

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大垣市役所議会(天童木工HPより)

 
その次に訪れたのは「山寺」の通称で知られる、宝珠山阿所川院立石寺(ほうじゅさんあそかわいんりっしゃくじ)です。

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県道から脇道に入ると、登山口に至る門前通りがあります。個人宅が提供するものも含めた民間駐車場が通りに沿って並び、奥に行くほど駐車料金が高くっていました。山寺の玄関口は、幅の広い石段が迎える登山口で、ここから山頂まで1,015段の石段を上ることになります。

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最初の石段を上がった所に、重要文化財に指定されている根本中堂があります。立石寺は天台宗寺院なので、堂内には比叡山延暦寺より移された不滅の法灯があり、本尊の薬師如来坐像も重要文化財です。
根本中堂から横に移動すると、松尾芭蕉と曽良の銅像がありました。

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芭蕉は1689年、門人・曽良を伴って奥州・北陸を経て美濃大垣に至る長旅を敢行し、「おくのほそみち」を完成させます。江戸・深川を出て2ヶ月後にここ立石寺を訪れ、有名な句を残すのですが、それは後ほど。

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山門で拝観券を購入し、いよいよ本格的に石段を上ります。石段は樹々に覆われているため、日射しは遮られて暑さは感じませんでしたが、歩くうちにシャツは汗でびっしょりになりました。芭蕉が、この参道の光景を詠んだと思われるのが、「閑かさや岩にしみ入(いる)蝉の声」です。文字だけでありありと映像が浮かぶ名句ですが、約330年前に芭蕉が見た景色を共有したような嬉しさがありました。

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息を切らせながら20分近く歩いた所に、迫力のある奇岩が現われます。長い歳月の間に風雨で削られた岩壁に、墓石のような彫刻が幾つも並んだもので「弥陀洞(みだほら)」と呼ばれています。
そこから少し上がると、頭上に建造物の屋根と紅葉と青空が見えました。漸く現れた建造物、そして頭上が開けて空が見えたことで、「もう少し」という安堵感を覚えます。季節外れの紅葉も綺麗でした。

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これが山上伽藍の入口になる仁王門です。門の左右には運慶の弟子が作ったと伝わる仁王尊像と十王尊像が安置されています。

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石段を真っ直ぐ上って行くと、正面に奥之院・大仏殿があります。ここが1000段以上あった石段の最終地点で、左側の大仏殿には高さ5mの阿弥陀如来像が安置されています。

奥の院から少し下がった所、仁王門の頭上辺りにあるのが、開山堂と納経堂です。

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右側の開山堂は立石寺を開いた慈覚大師を祀るお堂。左側の赤い小さな建物は写経を収める納経堂で、山寺の中で最も古い建物だそうです。ここはガイドブックや旅行サイトにも必ず登場する「山寺」を代表するスポットなので、誰もが写真を撮っていました。
開山堂の脇を抜けると、その奥にもう一つの建物「五大堂」があります。

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床と屋根と柱だけで三方が解放されているため、景色が風景画のように切り取られていました。

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ここは絵になる場所ということで、テレビやCM撮影にも多く使われています。実際、西村京太郎原作・沢口靖子主演の2時間ドラマ「鉄道捜査官」(山形県が舞台の第8作)に登場したのを、私は覚えていました(笑)

長い石段も下りの方が随分と楽で、スイスイ下山できました。ちょうど15時前なので、車で山形市内へ移動してスイーツタイムです。
娘が調べたお店に到着して早速注文したのですが、娘が「何かメニューが違う」と言って調べ直したところ、お目当ての店「eigyokudo Cafe」は数十メートル離れた所にあって、ここはその本店にあたる和菓子店「栄玉堂」だったのです(笑)

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栄玉堂のメニューは老舗和菓子店らしいラインナップで、娘は抹茶パフェ、私はどら焼きとアイスカフェオレをいただきました。しかしショックを隠し切れない娘のため、喫茶店をハシゴすることに・・・

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eigyokudo Caféは、栄玉堂8代目店主がプロデュースした店で、石造りの蔵をモチーフにしたお洒落な建物(他にレストラン・雑貨店)に入っていました。

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クロワッサンやチーズケーキが目玉商品ですが、娘が注文したのは抹茶プリン。可愛らしい富士山のような見た目でインスタ映えしますね。私は、ラテアートの美しい抹茶ラテを頼みました。

そして最後に訪れたのが、羽州街道の宿駅である楢下(ならげ)宿の町並みです。

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羽州街道は、陸奥国(むつのくに:宮城県・岩手県・青森県)を縦貫する奥州街道から桑折(くわおり:現在の福島県伊達郡)で分かれ、出羽国(でわのくに:山形県・秋田県)と陸奥国(青森県)を通る約500kmの街道です。弘前藩、秋田藩、庄内藩など13の大名が参勤交代に利用し、米などの物資輸送にも使われ、そして出羽三山を目指す参詣の道としても賑わいました。

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楢下宿を上山方面から行くと、上町と呼ばれるエリアを抜け、浄林寺の石段と鐘楼が目の前に現れます。現在はカーブしながら道はその先へ続いていますが、この道が開通したのは明治16年だそうで、江戸時代の道はここから左に折れて鉤型(コの字型)になっていたそうです。

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左に折れた坂道を横町といい、その途中に山田屋(旧斎藤家)が残っています。坂を下りた所に広場(駐車場)があって、その角を右に曲がると下町です。この下町には本陣や脇本陣などの立派な家がありましたが、無くなったり移築されています。広場横の大黒屋(旧粟野家)も向かい側から移築されたものでした。

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先日放送されたNHK『鶴瓶の家族に乾杯』では、山形県上山市を旅していた俳優・江口のり子が、醤油屋を訪ねてこの楢下宿に入って来たのでびっくり。それが横町にある「丹野醤油店」でした。

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上町を進むと右手に石造りのアーチ橋が現われます。西洋の土木技術を取り入れて明治13年に竣工したもので、長閑な風景にはちょっと似合わない立派な橋でした。

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橋を渡ると新町と呼ばれるエリアで、ここにも茅葺の民家が残っています。ただ、茅葺き民家はどれも無住か見学用に公開されたもので、造り物のように見えてしまうのが残念でした。「羽州街道 楢下宿・金山越」として国の史跡に指定されているものの、茅葺き民家に暮らし続けるのは簡単ではありません。

17時半頃に楢下宿を出て、山形駅近くでレンタカーを返し、山形駅で弁当とお土産を購入。そして帰路は恒例の新幹線ですが、山形新幹線に乗るのは生まれて初めてでした。

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この「山形新幹線」というのは通称で、正式には在来線(奥羽本線)の線路を利用する新幹線直行特急(ミニ新幹線)という扱いで、「新幹線」ではありません。踏切があったり、最高速度も130kmに制限されています。開業当初は異彩を放つ銀色の車体(400系)でしたが、あれに乗れなかったのは今も心残りです(笑)

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岸 未希亜

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