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2016.04.19 / よもやま話

吉田桂二先生の思い出(2)

 2000年代に入ると、吉田先生主催の木造建築学校が始まった。当社には、この学校で腕を上げた社員が現在8名在籍中(うち1名は元講師)。私は学校に参加したことはないが、先生とクライアントとの打ち合わせには、機会あるごとに同席するという経験を持っている。更には、施工中の現場にての数々のアドバイスを社員と共に受けることができた。数え切れない程の回数である。
 吉田先生には、先生の携わった建築物を案内していただいたりもしたが、ある時はパリまで渡った。1993年のことと記憶している。

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パリで個展を開くということで、その「お手伝い」にという予定だった。10日間程の期間であったと思うが、実際には「お手伝いできること」はほとんどなく、逆に、旅慣れている先生に現地を案内していただいたという顛末。その時のパリ個展で購入した絵が上のものだ。
 先生は、国内においては東京で毎年11月に個展を開かれており、実に1980年代から2014年まで続いた。私は、1990年頃より最終回の2014年まで毎回来場した(と自分では思っている)。おかげで三十数点にものぼるコレクションを得、内数点をごく親しい知人に譲ったものの、今でも二十数点を有しており、一部が私の執務室に掛かっている。
 個展当日は先生とお互いの近況報告をするのだが、2009年11月からは必ず一つのことが話題に上がるようになった。

 2009年初夏の爽やかなある日、私は東京飯田橋にある、吉田先生が代表役員である連合設計社の先生の執務室にいた。長いお付き合いであったものの、執務室に入ったのは数回しかない。この日の先生は、白いシャツに蝶ネクタイというダンディな出で立ち。執務室で見る先生は、いつにも増してオーラがすごい。外でお会いする時とはまた違ったオーラだ。通り一遍の挨拶の後、緊張してソファーに浅く腰掛けていると、対峙していた先生はタバコを取り出して一服し、煙をゆっくりと吐き出してニッコリ笑いながらこう言った。「業が深いというか・・・」、愛弟子、岸未希亜の、当社への移籍を正式に了承された瞬間だった。私の隣には、至って飄々とした風情の岸君が座っていた・・・
 以来お会いするたびごとに、つまりは2009年11月の個展から2014年11月の最後の個展までの6回ということだが、先生の第一声は「岸くん元気?」になった。

下平 勇
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