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2015.06.17 / よもやま話

最後の砦「高知県」

今月初めに、法事で広島へ行く機会がありました。始発の新幹線でも法要に間に合わないので、前日入りすることにしたのですが、すぐに高知県へ寄り道することを思いつきました。広島県から随分と離れているのに、「どうして高知県?」と突っ込まれそうですが、その理由は明確で、47都道府県の中で私が足を踏み入れたことのない唯一の県だったからです。46番目の沖縄県を初めて訪れたのが2006年だったので、9年越しの悲願達成です(笑)

高知県と言えば皆さんは何を思い浮かべますか?よさこい祭り、鰹の一本釣り、四万十川など色々ありますが、やはり有名なのは「坂本龍馬」ではないでしょうか。世間でイメージされる英雄「坂本龍馬」は、司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」によって確立されたことは、あまりにも有名です。

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私も司馬遼太郎の小説にはまって、次から次へと図書館で借りて来ては読んだことがあります。家の本棚ではないのが少し痛いところですが(笑)、「世に棲む日日」「翔ぶが如く」「菜の花の沖」等が好きです。もちろん「竜馬がゆく」を読んでから、坂本龍馬にも関心を持つようになりました。そんな訳で今回の高知行きは、47都道府県の踏破に加え、土佐藩と坂本龍馬の歴史を辿る一人旅。実にワクワクします。

交通費を抑えるため、往路は高速バスを利用しました。夜10時過ぎに横浜を出発して東名高速で関西へ向かい、淡路島を経由して徳島県に渡ります。午前7時半頃に高松中央ICのバスターミナル(高速を降りた所にある綺麗な施設)で高知行きのバスに乗り換え、午前9時過ぎに高知駅に到着しました。後で調べると、横浜駅からも高知に直行するバスがあったようです(苦笑)

駅前でレンタカーを借りると、先ずは高知城に向かいました。

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以前から何度かブログでお伝えしているように、私は日本の城が好きで、天守が現存している12城のうち、これまでに10ヶ所を見て来ました。残りは愛媛の宇和島城と、ここ高知城なのです。

土佐国(高知県)は長宗我部元親によって統一されましたが、関ヶ原の戦いに敗れた長宗我部家に代わり、尾張出身の山内一豊が土佐藩の初代藩主に任ぜられます。

kochijo2.jpg左:城の入口にある山内一豊の銅像 右:城内にある千代の銅像

この山内家とその家臣を「上士」と呼び、長宗我部の遺臣を「郷士」として区別し、武士の間に序列をつくったことが土佐藩の特異性で、幕末の騒乱にも影響を及ぼしました。山内一豊とその妻である千代の物語は、司馬遼太郎の作品「功名が辻」で生き生きと描かれ、上川隆也・仲間由紀恵主演で2006年のNHK大河ドラマにもなっています。

高知城は標高42mの大高坂山を利用した平山城(ひらやまじろ)で、城の周囲に堀を巡らした堅牢な造りをしています。堀を渡る出入口は4ヶ所ありますが、敵が最初に押し寄せるのが、城の表に位置する追手門です。

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4間×11間もある大きな渡り櫓門越しに見える天守閣は、絵になります。

高知城は石垣も立派で、高低差のある城内に数多くの石垣が造られています。

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石工技術に定評のある近江国穴太(おうみのくにあのう/滋賀県)出身の技術者は、全国の大名に召し抱えられたそうですが、高知城もその一つです。

二の丸から天守のある本丸を見ています。この広いスペースには、かつて藩主の居住空間である二の丸御殿がありました。

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望楼型天守の典型とされる高知城天守は、最上階に廻縁・高欄が付いた典雅な姿をしています。南は境川、北は江ノ口川を天然の外堀とした東西に長い城下町が整備され、その眺めは見事の一語に尽きます。

kochijo9.jpg 東側の眺め。城下町は東西に長い
kochijo10.jpg 南側の眺め。意外にも南に山がある

城の周辺は「郭中」といって、重臣や上士と呼ばれる武士層が居住していました。その東側は商人・職人などの町人が暮らす「下町」が広がります。城の西側は奉公人や「郷士」と呼ばれる下級武士が暮らす「上町」で、坂本龍馬の家も上町にありました。

城を出て「上町」にやって来ました。土佐電鉄の路面電車が走る広い通りに面して「坂本龍馬誕生地」の石碑があります。

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そこに坂本龍馬の生家があったということですが、道が拡幅されて様変わりしているため、なかなか想像力が働きません(笑)

1本裏の通りには、「龍馬の生まれたまち記念館」が建っています。

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薩長同盟や大政奉還の立役者としての龍馬は、桂浜を見下ろす「坂本龍馬記念館」に展示されていますが、ここでは少年時代や家族とのエピソードなどが紹介されています。建物も外壁に土佐漆喰を塗ったヒューマンスケールの木造建築で、町に溶け込んでいました。

高知の城下町から車で20分くらいの所に、龍馬の聖地として知られる「桂浜」があります。

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小雨が降ったり止んだりの天気だったため、青い空と海原が見られなかったのは残念でしたが、有名な坂本龍馬の銅像を拝むことができました。周辺の地形を知らないので、砂浜のどこかに立っているのだろうと勝手な想像を働かせていたのですが、予想外の場所に銅像があって腑に落ちました。

桂浜から東へ移動している途中、「武市半平太旧宅」という案内版を見つけて立ち寄りました。

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坂本龍馬と比べると、武市半平太(たけちはんぺいた)は少しマニアックかもしれませんが、土佐では秀才の代名詞です。
龍馬と同じ土佐の郷士に生まれ、勤勉実直で文武に秀で、人望も厚かった半平太は尊皇攘夷運動に傾倒し、土佐勤皇党を結成して土佐藩の藩政を一時掌握するまでになります。しかし「安政の大獄」で形勢が変わり、最終的には切腹を命じられて非業の死を遂げる人物です。

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武市半平太の生家は、家主が変わった現在も実際に人が住んでいます。元は茅葺き屋根だったであろう奥の母屋は、半平太が住んでいた頃から残る建物ということなので築150年以上です。山間の風景と相まって、時間が止まっているような錯覚に陥ったひと時でした。(つづく)

岸 未希亜

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