5月も下旬となり、ニュースでは「熱中症に注意」という言葉が流れるようになりました。
GWからは3週間が経ちましたが、今回はそのとき訪れた旧東海道の蒲原(かんばら)宿・由比(ゆい)宿について書いてみたいと思います。
旧東海道は日本橋から始まり、53宿を経由して京都の三条大橋に至ります。神奈川エコハウスからほど近い藤沢宿は、日本橋側から数えて6番目の宿に当たります。蒲原宿は15番目、由比宿は16番目で、この2宿は静岡県の旧清水市(現在は静岡市)にあります。どちらも海に近いところで、特に由比宿はすぐそこが海なので、現在は駿河湾で採れる桜えびを扱う店が多くあります。
まず最初に訪れたのは由比宿です。写真は昔、染物屋をやっていた家で、中には当時の染色甕(かめ)が残っています。他にも東海道広重美術館などがあり、見どころは多々あるのですが、自分が歩いて特に気になったのは、通り沿いの建物の屋根周りの造りで、建築用語では「懸魚(げぎょ)」と「出桁(でげた・だしげた)」という部分です。基本的に、旧街道沿いの建物にはよく見かける造りですが、観光案内パンフレットにも説明が書いてあるくらいなので、この地域に多く見られる造りだと思います。
懸魚とは、「破風(はふ)の拝みの下に、またその左右につける装飾。横木、桁の先端を隠す。」とあるように、上の絵の真ん中辺りに見えている少しうねりのある装飾のことです。建物それぞれでデザインが違っていて、当時の人々の趣味を感じました。
また、出桁とは、「軒下の化粧(かざり)で最初は、軒を支えたり、補強する為に設けられましたが、後にもっぱら飾りを目的に設けられるようになりました。」とあり、絵の中では3組の腕木が1本の長い木を支えているところの造りを指します。こちらも建物によって、腕木の先端を装飾したり、2段にしたりと様々です。
次は蒲原宿です。この宿では、見学できる家が多かったのですが、特に志田邸が私の印象に残りました。
入ってすぐ、当時は店にあたるところに箱階段がありました。箱階段は、階段の下の有効利用として作られたと言われますが、よくよく眺めてみると、しっかり隅々までデザインされていて微笑ましく感じました。
庭を抜けた奥には東海道に唯一残る江戸期の醤油工場がありました。屋根の部分はトタンが張られていて、少し残念ですが、小屋組は見事なものでした。
最後に、志田邸の館長に伺ったお話を披露します。よく浮世絵にもあるように、「東海道53次」と言って、東海道には53宿あるのが一般的な認識となっていますが、京都から大阪の高麗橋までの間の4宿が江戸時代初期に追加され、東海道として管理されたのは57宿であったということです。このお話を聞き、追加された4宿に少し興味を持ちました。機会があったら、行ってみたいと思います。
坪田 将浩