ブログ

2012.05.15 / 建築と住まいの話

間取りのお話

今週末に開催される「エアサイクル×間取りセミナー」に先駆けて、間取りについてのイントロダクション(序論)をお話しします。

「間取り」は日本語ならではの面白い言葉です。

英語では「PLAN」と言い、日本語に訳せば「平面図」です。建築用語としては日本でも「平面図」が一般的ですが、こと住宅に関していえば「間取り」の方が市民権を得ているのではないでしょうか。

madori.jpg

「間取り」に込められた「間」の意味は、本来「部屋」とは少し違うニュアンスですが、現代では多くの人が「部屋」をレイアウトすることが「間取り」だと思っているようです。

「間」を使った言葉には「間合いを測る」「間が悪い」などありますが、「間」には日本の家で培われてきた日本人独自の感覚が宿っています。

それは日本の家の造りに大きく関係しています。わが国は森林が多く木材が身近な建築材料でしたし、高温多湿の風土性のために開放的な造りが必要であったことから、木の柱と梁を組み上げる木造軸組みが発展しました。

こうして生まれた日本の家は、部屋と部屋の境が壁ではなく襖などの建具になっていて、開け放して風を通すことができました。
部屋は独立することが少なく、広くつながり合っているのがふつうで、そこに住む家族の人間関係も風通しのよいものになっていました。

部屋としての独立性が無かったことに加え、家具を必要としない日本人の暮らしは、部屋の用途を限定しませんでした。
畳敷きの部屋であれば、布団を敷けば寝室になり、ちゃぶ台を出せば食事の場になる、そのような部屋の使い回しが可能だったことで、小さな家に大家族が暮らすこともできました。

部屋の「間仕切り」がいつでも開けられたり、個人の部屋がないということは、逆にプライバシーがないという負の側面もありましたが、そこには「結界」という目に見えない区画が存在しました。
それは暖簾や衝立、床の段差などで表現されることもあれば、心の持ち方「遠慮」としてのみ存在する場合もあります。

何やら話が難しくなってきましたが、開放的な造りの家の中で求められたのは、誰かが何かをしている時には、お互いに遠慮することによってプライバシーを守ることだった訳です。

現代の家は扉のついた部屋が複数あることで、誰でも一人になることができます。しかし大きな一つの空間しかなくても、子供が勉強していればテレビを消して新聞を読んだり、子供が寝たらテレビの音を小さくしたり、そういった家族の気遣いは現代の暮らしでも活かされる話だと思います。

家族が一緒に過ごす時間が長ければ、部屋を増やしたり広くしたりする必要もなくなります。そうすると家は小さくすることができるのです。
家が小さくなれば工事費を抑えることもできますし、掃除も楽になりますし、いいことばかりです(笑)

でも家が小さいだけでふつうに部屋が並んでいる間取りでは、
本当に家は狭く感じてしまいます。

小さい家を広くする、あるいは居心地よくする、そんな間取りのつくり方を一緒に考える機会です。ぜひセミナーにご参加ください。

岸 未希亜

Category
お知らせ
建築と住まいの話
よもやま話
ロコハウス
書籍・メディア掲載
Archeives